カミングアウトは永遠に
こんばんは。
急ですがカミングアウトについて書きます!
なんかガイダンスみたいになります。
まず、カミングアウトは半永久的に続きます。
(異性愛規範がある社会においてですが)
異性愛規範を英語ではヘテロノーマティビティとか言います。横文字のほうが洒脱ですね(笑)
以下横文字頻出です!
また学際的な用語には厳密な定義がありますが
あまりこだわらず書きます。
大きくはズレていないです。
異性愛規範、
ざっくり言うと異性愛前提社会です。
規範(ノーム)とは、ルールみたいなもので、
それを犯すと制裁(サンクション)を受けます。
そんな雰囲気の中において、
同性愛嫌悪はホモフォビアと呼ばれます。
フォビアは恐怖って意味で、
英語で高所恐怖症はアクロフォビア、
死への恐怖はネクロフォビア、タナトファビアです。
余談ですが、好意の場合はフィリアです(笑)
まぁ今の社会、マシになったといいつつ
ホモフォビアはまだまだありますね(笑)
それがある限りはカミングアウトは(する、しないは別として)必要です。
だから、一人に「私、レズビアンなんだ…」といったところで、新しく出会う人に異性愛者だって思われてる限りはカムアウトしなければならない。だからカミングアウトは「みんな異性愛者でしょー」みたいな雰囲気がある限りは避けられない行為なんですね。
こうして異性愛が「普通」とされてる社会に同性愛者たちは異議申し立てしたわけですが
結構すごくないですか?
同性愛は病気!犯罪!とか言われ続け、迫害されてる側が問題視されてた中で、
問題は異性愛前提ってほうだろ!という視点転換。
( イブ・コゾフスキー・セジウィックって方などが提唱しました。
私は「どんな女の子が好き?」「結婚はするの?」とかって質問が面倒なのでカミングアウトは比較的してるほうですが、「あーこれキリがないわ面倒」と思って普通に彼氏の話、タイプなイケメンの話とかしてます。「察せ」という感じで。
カミングアウトって行為も異性愛前提の社会がなくなりさえすればしなくて良いんだなーって思います。いやーそうなってほしい。
そんな願いを込めた今日の記事でした。