雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

部落問題はいつまで続くのか

今日は専門知識がない内容について、

私が一個人として思うことを書いています。

言葉の用い方などに間違いがあるかも知れませんが

ご了承願います。

 

部落問題。

私は小学校の頃に知りました。

おおよそ15年ほど前ですね。

 

友達の家に遊びに行くと、

その子のおばあちゃんに「君、どこの子?」

と聞かれました。

答えると「あ、そうなのね。〇〇と仲良く

してあげてね。」と軽い返事。

名前よりも先になぜそんなことを聞くのだろうと

不思議でした。

 

その子曰く、そのおばあちゃんはある特定地区に

住んでいる人をよく思っていないらしく、

仮に私がその地区の名前を挙げていたら

私のことを悪く言っていただろうとのことです。

 

その時、初めて部落に関する差別が

あることを知りました。

 

この歳になって調べると

やはり差別は残存しているらしく、

例えば結婚において「〇〇の生まれの人に

私の娘はやれない」といったことや、

住所が被差別地域であるために就職において

採用しないといったことも起きているらしいです。

実際友達や年配の方の声をもとに知りました。

 

さて、私の友人に、

たまにこのような差別問題について、

広く人種差別、部落差別、性差別などについて

話をする友人がいます。

割と共感することの多い友人です。

 

そこで出た疑問。

部落差別はなぜなくならないんだろう。

そこに生まれたことで、

なぜここまで差別されるのか。

 

私が悲しく思う点は、

何も知らない子どもに差別が起こる場合です。

(勿論大人のそれを軽視していいわけではないですが)

 

「君、どこの子?」と聞かれた際に、

何の疑いもなく「〇〇地区です」と答えた子が

「えっ、あそこの子か。」となり

酷い場合はその家庭で

「あの子は〇〇の子だから関わっちゃダメ」

という話になったら。

 

なぜ自分が〇〇の生まれだから悪く言われるのか。

なぜ友達が〇〇の生まれだから関わってはいけないのか。

 

本人が選ぶことのできない出身地や家系のせいで

差別されるのは酷い、と友人たちと話します。

これは人種差別や性差別にもいえます。

無論、全く同じ文脈で語ることはできないにしても

「私、女がいいから女に生まれた」

「私は〇〇県の〇〇市の〇〇家に生まれたくて

ここに生まれてきたんだ!」

なんて、まず考えられないことです。

 

その「偶然」によって私生活をはじめ、

結婚や進路、就職などが大幅に左右されるのは

言葉は軽いですが、酷いと思います。

 

このような話をすると、たまに言われるのが

「彼ら(被差別の人たち)も

相応のことをしている」です。

この言説については詳しく分からないのですが、

おそらく過去の話なのかな、と思います。

 

よく私や、私の友人の考えを

「風化」と捉えられることがあります。

決して過去は風化していいものと思ってないです。

戦争をはじめ、人が犯した過ち(人災など)は

風化してはいけない過去です。

 

しかしそのことを何も知らない人、

詳しく知らない人に、理由も何も教えないで

差別や偏見など「行動」で接するのは

これもまたよろしくはないと思います。

 

理由を教えればそれでいいの?

という問題でもないですが、

いつか「〇〇差別?そんな時代があったの?」

みたいな会話がきける日が来てほしいです。