雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

「好き」の否定はいと切なし。

今日は身の回りに起きたことと、

自分のセクシュアリティから受けた経験談を交え

書いてみました。

 

何かを好きであることや

誰かのファンであること、

微笑ましいことですよね。

 

一方、好きなものの否定や

また好きなもの同士の軋轢は悲しいです。

 

これだけだと「は?」ってなると思いますので

例をあげて説明すると、

「韓国が好き!」という人がいたとします。

もちろん「私も!一緒だね!」と返す人が多い中、

「単にKPOPが好きなだけでしょ?」

「韓流アイドルの影響受けすぎ」などと

いう人もいます。

 

悲しきかな。好きなら好きでいいじゃん。

皆に思想の自由も言論の自由も認められてますので

これは単に私の意見ですが、

何かのアンチに対してならまだしも

「何かを好きな人」に喧嘩ふっかけなくても…

と思います。

 

また友達が「歌手の〇〇が好き!」というと、

同じファンの人に「ファンクラブに入っている?」

「ライブに行ったことある?」と尋ねられたらしく

ないと答えたところ、

「えー、ファンクラブ入りなよー、

てかライブも行ったことないの?」

と返されたようです。

 

別にファンクラブに入ること、

ライブやコンサートに足を運ぶことだけが

ファンになる条件ではないと思います。

またファンの中にカーストもないと考えます。

 

好きならファンでいいじゃないですか。

好きでいることに、

別に資格も条件もないんじゃないかな。

 

私のこの考えは比較的セクシュアリティの影響を

受けているような気がします。

 

昔、ある人に「男の人が好きかもしれない」と

相談したところ、

「一過性の感情だよ」

「女を知れば変わるって」なんて言われました。

 

おそらくその人にとっては

男を愛する資格として「女」であることが

必要だと考えていたのだと思います。

 

何かを好きな人と、それを嫌いな人との間で

軋轢が起きるのは分かります。

しかしある物事を好きな人に対して、

その物事を知らない人や、ましてや好きな人が

否定的、好戦的なスタンスから入るのは悲しいな

なんて思います。

 

誰かは明確に覚えていませんが、

私の好きな言葉があります。

確かマザー・テレサだったかと思いますが

「平和追求運動には参加するけど、

反戦運動には参加しない」という言葉です。

 

「平和が好きで、平和を求めて」する活動。

「戦争が嫌いで、戦争廃止を求めて」する活動。

私は前者のほうが好きです。

後者も結局、戦争廃止を求めて戦争しています。

 

実は私の今日の記事も同じ事態に陥ってます。

「批判なんてやめよう」と主張しながら、

批判する人を「批判している」

 

私のとるべきスタンスとしては

「批判するな!」ではなく、

「『好き』を応援しよう!」であるべきでしたね(笑)