雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

性的指向撹乱戦略。

私はカミングアウトという行為を

特に何も考えずに適当にしてきたので

少し後悔していることがあります。

(後述しますが、それは「しなきゃよかった!」とかではなく

方法論的な部分においてです。)

 

大学院や学部時代の友人と

話す機会があったのですが、

そこで考えた内容を書きます。

出来る限りポップに書いたつもりですが

表現力が乏しく読みにくい点はご了承ください。

あと「意識高いゲイ」みたいに

なっている点もご容赦願います。

 

 

 

「カミングアウトする」ということは

「私は同性愛者です」ということになります。

すなわち「同性愛者は現に実在するんです!」

ということになります。

 

友人たち曰く、それは

「隠れるべきセクマイ / それを暴くノンケ」

という二項対立を温存してしまう。

 

何が言いたいかというと、

今までの私の考えでは、自分が楽になるために

「私ゲイなんすよ〜」とカムアをし、

みんなが「やっぱ身近にいるんだ!」と気付き、

恩着せがましいですが、

「他の『当事者』にも安心を与えられればな〜」

と思っていました。

 

しかしその友人が考えるに、

カミングアウト

=「異性愛/同性愛」の二項対立を強化するもの、

言い換えれば、カミングアウトは

「みーんな異性愛者だよね!」という前提を

真っ先にぶっ潰さないとこれからも残り続けるので

カミングアウトすることは異性愛中心主義を

ある意味認めていることになるということです。

 

そこで彼らと行き着いたのが、

性的指向撹乱戦略。

 

たとえば

友「雨橋ってさ、彼女いるの?」

雨「うーん、大切な人はいるよー」

友「何その言い方、まさか彼氏とか?」

雨「どうだろね〜、パートナーはいる(妖艶な笑み)」

友「どゆこと?バイセクシュアルなの?」

雨「バイセクシュアルではないかなぁ〜」

友「え、ならゲイってこと?」

雨「うーん、そこは想像に任せるよ」

 

このように語ることで相手はイライラしつつも、

「相手は絶対に異性愛者である」という固定観念

疑わざるを得なくなる社会が実現する、

という、ある意味ユートピア的戦略です(笑)

 

ゲイ男性が

「昔、彼女いたけど今は男と付き合っている。

けど俺はバイセクシュアルでないよ」と語ったり、

レズビアン女性が

「今男とプラトニックに付き合ってるけど、

恋愛対象は女性なんだ」と語る。

そうすることで「異性愛/同性愛/両性愛

というカテゴリーが確立したものではなく、

流動的で安定しないもの(クィアなもの)、

単なるカテゴリーの「名前」にしかすぎないことを

所謂ストレートの方にも考えてもらう戦略です。

 

「男性と一度でも関係を持つ=ゲイ」なのか、

「男性に性的魅力を持つ=ゲイ」なのか、

「自分がゲイだと思う=ゲイ」なのか、

という問いを繰り返し、

すなわち「ゲイって誰なのか」

しっかり考えてくれるかもしれなかった人に、

私が安直に「ゲイだ」と言ってしまったことで
熟慮の機会を奪ってしまったような気もします。

 

今回友人たちと話して考えたよう、

男性/女性、フェミニニティ/マスキュリニティ、

ストレート/ゲイ/レズビアン/バイセクシュアル、

トランスジェンダー/シスジェンダーなど

十把一絡げにカテゴライズされようとするとき、

「私はそれらの言葉では語れない」と

(ある意味、高飛車な)態度をとることも

異性愛中心的な社会を抜け出す

1つの戦略なのかな、と思いました。