雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

アウティングとか、ゲイ暴きとか。

セクシュアリティについて、

本人の意思に関係なく、

誰かにリークすること。

アウティング

 

たまに思うのです。

 

私は比較的オープンであるがゆえに、

誰にでもオープンであると勘違いされている、と。

 

もちろん私自身にも、

カミングアウトしたい(してもいい)人もいれば、

絶対にしたくない人もいます。

 

親や大学の友人には言っていますが、

とりあえず中学の友人には

絶対に知られたくないです。苦手だから。

 

これも勝手なイメージなんですけど、

地元周辺って、

「長男が家を継いで、、、」のような

雰囲気が強くって、

どうしても好きになれませんでした。

 

 

 

ある意味、セクシュアリティを知られることって

場合によっては弱みを握られることになると

思っています。

 

別にLGBTが悪いとかじゃないですが、

「彼ら、彼女らのセクシュアリティを知っている」

=いつでもその情報をバラまける

という点でです。

 

もちろん、セクシュアリティを知ることが

負担になることもあるかもしれません。

「彼がゲイだと知っているけど、

アウティングしないように

また彼がゲイだとバレないように

彼と接しなければ、、、」という負担。

 

 

 

さてさて、なんで人って

人の秘密を明らかにしたがるんでしょうか。

 

たとえば、ときどき取り上げられるゴシップ

「ゲイだと噂される芸能人まとめ」

「〇〇;2丁目で目撃欄アリ!」みたいな。

 

いやだったら何、と。

 

異性愛者だと噂はされないのに、

同性愛者だとゴシップの対象になるんですね。

 

いや、放っておけばよいではないか。

なぜわざわざ人のセクシュアリティ

面白おかしく暴こうとするんでしょうかね。

 

異性愛を軸に世の中が回っている以上、

もう私は、私が死ぬまでにこの状況は

変わらないんだろうな、と諦めてます。