雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

ゲイ、懐かしさ、切なさ

生きてます。雨橋です。

 

今年は未曾有の災禍、色々ありましたが

何とか生きています。

 

さて、タイトルにあるように、

最近ゲイであることに慣れすぎて

忘れてかけていた感情について

懐かしむことも含めつつ書きます。

 

 

 

最近、tiktokというものに

今更ながらハマりました。

 

ライブ配信もあり、時折お邪魔するのですが

やはりタイプの男性というのはいるもので。

 

そこで話題となる

「今は彼女はいなくて〜」

「元カノとは数ヶ月前に別れて〜」

と言った類の話。

 

 

何というんだろう…

 

 

世間のヘテロノーマティブな雰囲気にも慣れ、

ゲイとして人生闊歩している今となっては

気にすることなどないことなのに、

どこか疎外感を覚える自分がいます。

 

かっこいい男性配信者に対する

「イケメン!」や「かっこいい!」という

女性リスナーたちの声と

それにひっそりと混ざっている私。

 

まるでどこか、高校時代に

好きな人にその想いを言葉にできなかった

もどかしさとか歯痒さみたいなものが

何となく思い出されてしまいました。

 

 

 

tiktokで私はセクシュアリティこそ

オープンにはしていませんが、

ジェンダーは男として参加しています。

 

配信者の方は平等に接してくれてはいるものの

何かにつけて

「やっぱりこの人も異性愛者で、

私は恋愛対象外なんだ…」

ということをひしひしと感じてしまいます。

 

別に自分が女性だったからといって、

その人との恋が成就したり、

実際に会えたりするわけではありません。

 

ただ、言葉にし難い距離感というか、

自分が同性愛者であるが故の、

マジョリティである異性愛者の空間における

寂しさ、切なさのようなものを

感じるようになりました。

 

 

 

そう思ったら、そうだよな。

 

やっぱり、特定のコミュニティに出たり、

アプリを通じななければ、

出会いの機会を作るのが難しい同性愛者に比べ

異性愛者はそこらに「出会い」はあるもん。

 

もちろん「異性愛者だから!」といって

必ずしも意中の相手と結ばれたり、

仲睦まじくなれたりするわけではありません。

 

けど、、、

結局はどんだけタイプの男性からしても

自分は「男」

 

仲良く離れても、恋愛関係にはなれない。

 

最近はそんな現実をよく突きつけられ、

考えさせられます。

 

もう恋なんてしないと決めた身ですが、

どこかぽっかり心に穴が空いたような、

そんな虚無感を最近はよく感じます。

 

 

 

話変わるけどブログって、

心の整理になりますね笑

 

復活!とまではいかずとも、

時折思いの丈を記す時間を

設けたいなと思いました。

 

また気が向いたら書こう。

 

お休みなさい。