雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

遠隔授業の実施側と受講側に立つ私。

生きてます。雨橋です。

 

COVID-19の影響をもろに被り5-7月は

自分史上最も忙しい時期となりました。

 

なんとか今年前半を乗り切れた自分を

褒めてあげたいですね(笑)

(ただし今は夏季休業中の課題という

第二の波に追われています…)

 

さて、授業はオンラインが主流となりました。

ほとんどの学校は遠隔授業が大前提です。

とりわけて、小中高に比しても、

大学は遠隔授業が主になっています。

 

現状に鑑みてやむを得ぬ措置だと思いますが、

先日、「オンライン授業の現実」

という記事を見ました。

 

 

 

私は学生ゆえ、授業を受ける立場ですが

諸事情あって教壇に立つ立場でもあります。

すなわち、授業を受講する側でも

実施する側でもあるんですね。

 

そのような両者の境遇にある今、

私の思うオンライン授業についての実感を

書きたいと思います。

 

特定の誰かや何かを批判したりするのではなく

自分なりの考えを書いたものです。

ご承知おきください。

 

 

 

まず

受講する側として。

 

いいと思う点

 

通学が不要で5分前に起きれば間に合うこと。

 

…正直、このくらいかな…

 

たしかにカメラとマイクをオフにしていれば

トイレに行くもご飯を食べるも自由ですが、

授業としてのメリットとは言えないと思います。

 

過去の資料を読み返せることも挙げられますが

普通に対面で出席していれば

資料なんて印刷せずとも紙媒体で手に入るし

これもメリットとは言えない気がします。

 

課題に感じる点

 

質問したり議論したり

インタラクティブなやりとりが(対面に比べて)スムーズにできない。

遠隔対面授業は誰かが話しているときに

切り出すことが難しいです。

AとBが話しているときに、

私が割り込むと音声などの問題で

スムーズに会話ができなかったりします。

無論、割り込むことはできますが、

対面に比べるとやはり

「(生産的な)雑談」ができないのは事実です。

 

また、

力がついているかという不安。

有り体に言えば、資料が配られ、

テストをこなすだけの授業もあります。

文面を読むだけでは分からないこともあり、

質問したいことがあっても、

言葉ではニュアンスなどを

伝えることができないことがあります。

そのようなときに歯痒さを覚えたりします。

期末テストも不安の渦中に行われました。

無事1科目で撃沈しました。

 

先生の顔を知らない不自然さ

これもたしかに思います。

(オンデマンド形式に関しては)

単位をくれる先生の顔を知らない不自然さ。

ただ、この点に関しては後述しますが

やむを得ないところはあると思います。

(顔を晒す怖さ、がありますので、、、)

 

 

 

そして

実施側として。

 

いいと思う点。

 

これも

通勤がない。所定時間の拘束がない。

私自身、少し遠いところに勤めているため、

通勤がなく、また時間的な制限がないことは

ありがたいことではあります。

 

ですが、そのくらいです。

 

課題に感じる点

 

これはもう、

授業の実施のための作業が

鬼のように大変!!!

これに尽きます。資料作りに土日が消えます。

この5-7月はまともな休日がなかったです…

遠隔対面授業ができない受講生がいるため

オンデマンド形式にしているのですが

資料作りに追われます。

資料を作り、音声や解説を入れ、問題を作り、

学生が参照できるようにして

トラブルの際は個々人に対応して、、、

 

学生の反応がよく分からない。

対面だと、首を傾げたり、

「ん?」という顔を見て、

「ここはちゃんと説明しなきゃ」となりますがオンラインだと学生の反応がわからず、

それらがわかりづらいです。

ものすごく不満に思っているかもしれないし、

授業にどういう感想を持っているかも

分かりにくいので、

悶々とした気持ちで授業を実施しています。

 

またトラブルの対処が難しい。

正直受講生から「ネット不調」といわれれば

「仕方ない」となる部分はあります。

しかし、それを毎回許していると

「欠席オーバーでも許すのか?」となる。

対面の場合は「いる/いない」で分かりますが

オンラインはいろんな事情が考えられるため

一概に欠席や出席を決めることが難しいです。

 

そして、学生の顔を知らない不自然さ

先述しましたが、

先生(私)の顔を受講者は知らず、

私は受講者の顔を知っていません。

しかしこれは、

私だけスクリーンショットをされたりする危険を背負うのがどうしても嫌なのです。

対等な条件で授業を行いたいし、

私は顔を出したことはありません。

 

 

 

 

以上、ザッとまとめてみましたが、

総括してみます。

 

まず、課題と思う点が多いのが事実です。

いいと思うのは正直、移動時間だけです。

あとは心労が増えたものばかり。

 

今日みた記事の中に、

「授業がつまらないし、分かりにくい」

「こんな授業だったら学費返して欲しい」

という文言がありました。

 

この声に、

私は賛と否の両方の感情を抱きます。

 

たしかに遠隔では、

授業の質をなんとか維持することはできても

向上させることは難しい気がします。

私も初の試みに手探りで挑みました。

 

おこがましいですが、

私自身、わりと受講生のために

頑張るタイプだと思っています。

 

ただ、受講生の置かれている境遇を加味すると

(ある子は遠隔対面可、別の子は不可など)

万人に満足のいくパターンの授業展開は

難しいものがあります。

 

そのような中で、どれだけ必死に頑張っても

学生に届いているかわからない怖さ。

また、対面授業に比して感じる不十分さ。

 

学生に申し訳ない気持ちを抱くとともに

ただ、やむを得ないんだよなとも感じます。

(なにをしてもいいのであれば

いろんな方法を用いて学生に満足いく授業を

展開したい気持ちはありますが、

どうしても雇用主、すなわち大学の方針に

従わなければならない以上難しいです)

 

よって、自分が受講している授業についても

たとえ資料配布だけにとどまる先生がいても

自分以外に遠隔対面が難しい子がいるのかな…

と、その形態を受け入れている自分がいます。

 

 

 

保護者さんの声に、

お子さんが受けている授業に対して

「教師は顔出しもしないで授業している」

と書いているのを見ました。

そこに関しては正直「リスク」を

わかってほしいです。

 

私の受講している講義でも

先生の顔がわからない科目がありました。

けどそれはやむを得ないと思います。

 

顔出しをするのって、怖いんです。

対面ではないため

スクリーンショットをされて

SNSに投稿されていても分かりません。

 

「この授業の先生ww」などと

投稿される可能性が少しでもあるなら

避けたいのが本心です。

 

自意識過剰かもしれませんが、

実際友人の学校では起こったらしいです。

したがって、可能性がゼロではないことは

極力避けたいです。

 

なので、先生が顔を出さないなら

学生も出さなくて良い、

先生が顔を出すなら、学生も顔を出すなど

そのあたりは平等にして欲しく思います。

 

 

 

そして、総じて行き着くのは「学費議論」

 

有り体に言えば、私は学費を

「返してほしいし返してあげてほしい」です。

 

学費には図書館利用代や維持費など

諸費用が含まれていると思いますが、

それらを利用することが難しく、

またやはり授業も満足には行われていない以上

少なからず返してほしいのが実情です。

 

ただ、それは教える側の立場からも

同じことを考えています。

対面の頃に比べて、

自分自身の負担の量は(冗談でなく)10倍に

なっている一方、

その質は多少なりとも落ちている気がします。

 

そのような中で、

受講生には学費を返してあげてほしい。

(だけど、できれば私の賃金はあげてほしい)

 

 

 

大学以外のシステムの多くは稼働している中、

大学だけがいつまでも遠隔化しているのは

なぜなのでしょうか。

 

現状を踏まえれば、

決して「オフライン化しろ!」

という気はありません。

 

ただ、小中高をはじめ、

社会システムが(止むを得ずとも)

徐々に動き始める中

大学だけいつまでも

リモート形式になっていることに、

多少の疑問は抱いています。

なぜそこまでして大学は動かないのか。

(感染リスクが高い年代だから…?)

 

 

 

とりあえず、今年の私の状況を一言で言うなら

「予期しなかった地獄」です。

 

昨年、ここまでになると思わなかったので、

今年中に山のように予定を詰め込んだのですが

全てにイレギュラーな変更が加えられ、

ある予定は前倒し、

ある予定は中止、

ある予定は後ろ倒し。

締め切りもまともに把握できない中、

課題の量は膨大となる一方。

 

ほんと、害でしかないです、コロナ。

心の底から恨んでいます。

 

 

 

一刻も早くまともな日常戻ってきて。