雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

「差別」はダメなことなんだけど。

お久しぶりです。雨橋です。

 

今年初投稿、

2021年あけましておめでとうございます。

 

さて、ふと書きたいなと思ったことを

まとめてみます。

 

それはタイトル通り、「差別」について。

今いろんな物議を醸しているトピックですね。

(内容次第で炎上するのか…なんて怖がりつつ)

少し書いてみようと思います。

 

※特定の集団などを揶揄したり侮蔑したりするものではないことを断っておきます。

あくまでも私の今の思いのまとめです。

 

 

 

私はゲイです。

まぁ世の中で言う、

「差別を受ける側」とされるポジションに

当てはまるのかな?と思ってます。

実際今でも、同性愛に対して

いろんなことを言う人はいます。

「キモい」とか「無理」とかね。

 

5年くらい前の私は確かに

そういうのにたいそう憤ってました。

「心ない!差別じゃん、けしからん!」と。

世の中からLGBT差別をなくすべきや!と。

 

さて、今の私はどうか。

有り体に言うと、あの頃みたいな

憤りの感情ってそんなに湧かないんですよね。

それは正直、私が味方

(=カミングアウトしても受け入れてくれた人)を見つけられたからなのかな?とも思います。

心に余裕ができたと言うか。

 

そりゃ正直、差別的な発言を受けて

いい気持ちは全然しませんよ。

「同性愛は間違ってる!」とか、

「男女の恋愛こそ普通!」なんていわれたら

「子ども作るのが自然て誰が決めてーん」とか

「普通て何基準やねーん」とかなります。

 

けど今はそうした憤りよりも、

差別問題に対する炎上の雰囲気のほうに

違和感を覚えてしまう私がいるんです。

 

もちろん大前提として差別はいけないこと。

マイノリティにもいろんな歴史があり、

いろんな文化的・政治的背景があります。

それぞれが抱えてきた、また抱えている問題に

向き合う必要はあると思います。

 

けどなんというか最近、

どこかしっくりこない場面が

ちょくちょく起こるんです。

 

 

私の断片的な視野でしか語れませんが

「え、そんなにボコる?」みたいな感じ。

 

 

ここで一つ、LGBTを例にとってみます。

たとえば「LGBTの悩み」と言うフレーズ。

 

性自認性的指向それぞれ悩みが違う」

まぁ確かにそれは事実でしょう。

私はゲイですが、トランスジェンダーではなくトランスジェンダーの悩みは分かりません。

ジェンダーが違うので、

レズビアンの悩みも分かりません。

わかるのはゲイの悩みだけ(しかも私と言うフィルターで見たものだけです)

 

確かにそこで

LGBTでも悩みはそれぞれ異なるんですよ」

と伝えるのは良いと思うのですが、、、

 

「LGBとTは全然別物、性的指向性自認ごっちゃにしてる時点で勉強不足」

LGBTってワード入れて配慮したらいいと思ってる浅はかさ」

このような喧嘩腰な指摘の仕方がちょくちょく目に入るようになった気がするんですよね…。

 

うーん、、、

うーーーん、、、なんだかなぁ、、、。

 

私は多分、自分がストレートだったら

全然LGBTに関する問題に

関心がなかったと思います。

だって関係ないもん。

(人間て割とそんなものじゃない?

これも差別なの…?)

 

自分がゲイだからこそ、LGBTに関して

そこそこ勉強して

そこそこ知識を培ってきました。

 

逆に言えば今の私は他の被差別集団について、

知識はあんまりないと思います。

ゼロではなくとも、当事者で悩まれている方よりかは少ないと思います。

(過去にどんな歴史があって、とか、

どんな経緯で今に至って、とかね)

 

 

 

多分マイノリティでない人の中には、

悪意なくとも良くない発言をしてしまった人、

試行錯誤の結果、行動が裏目にでた人などが

多々いらっしゃると思います。

私だってもしかしたら、知識不足が故に

他のマイノリティグループに対する

心ない言葉を発してしまうことも

あるかもしれません。

 

けど最近、その一度の過ちすら絶対許容しないと言うか、、、言葉を選ばずいえば「正義という大義名分を得たとばかりに袋叩きを許容する雰囲気」がどっかに見受けられちゃうんですよね…。

 

 

私のこの違和感は、

いつ、どこから、きたのだろう。

 

 

「あの発言を影響力がある人がいっちゃダメでしょ」

そんな言葉をちらほら耳にしますが

私はこの言葉もあまりしっくりきていません。

 

「え、ならあの人に影響力がなければ甘んじて受け入れるの?」と感じます。

 

だとすれば、私は

日常会話なら侮蔑的表現の横行が

許容されている雰囲気のほうが

腑に落ちません。

そんなん首相でも社長でも友達でも家族でも、

影響力関係なくダメなものはダメ。

(それこそステータスで差別してる?みたいな)

 

 

 

で、結論何が言いたいって。

(一部かもしれませんが)

マイノリティが「ポリコレにうるさいやつ」

「差別に厳しいやつ」みたいに思われて、

「あんま関わらないでおこう」

みたいな雰囲気になるのが怖いんですよね。

 

みんなで歩み寄っていく中で、

話し合ったり意見を出し合ったりする中で、

傷ついたり傷つけたりすることは

やむを得ず起こりうると思っています。

そうして、距離を縮めていくのかなって。

 

その機会を、何か一つのトラブルに対して

ケチョンケチョンに総批判することで、

願わないネガティブキャンペーンになってしまう可能性が怖いなと思っています。

 

もちろん繰り返しますが、「おかしなことはおかしい、間違っていることは間違っている」それらを異議を申し立てることは必要だと思っています。言わないとわからないから。

 

ただ、相手の悪意の有無を汲み取ることなし、

相手の気持ちを尊重することなく

いつも喧嘩腰で高圧的にボコボコにするのは

私自身違うんじゃないかな、と思っています。

(いや今この状況で加害者どっち、みたいなね)

 

そうなって誰も何も言えなくなると

亀裂は広がるわ、建設的な話もできなくなるわ、となっていきそうな気がしています。

(もちろんマイノリティ全員ではなく、私が見えている一部でしかないことはご了承ください)

 

「差別」はダメなことなんだけど。

 

うーん、、、これから大丈夫そ?

そんなふうに思う今日この頃でした。