雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

正直!アンチLGBTの気持ち分からんでもない。

TRPの記事の後にこの記事は

少しいかがなものかとも思いましたが、

ふと思ったので書きます。

(あくまで私見です、

差別を看過しても良いという主張ではないのでご了承ください)

 

 

 

時折、ホモフォビックな発言や差別的用語の使用が

バッシングの標的になることがあります。

 

私の周りにも冗談半分で

そのようなことを口にする人がおります。

 

私見としては、やはりそのような発言や雰囲気は

無くなってほしいです。

聞いていていい気はしませんからね。

 

 

 

ただ、LGBTにどこか苦手意識があったり、

理解ができないという人の気持ちが、

「全く分からないか」と聞かれれば、

「うーん…」とそうでもない自分がいます。

 

以下、理由を説明します。

 

ここ数年ほどで、

(私の感覚としては急速に)LGBTの可視化が進み、

また平等などといった概念が強く提唱され始め、

社会全体が差別用語などに関して

かなり敏感になってきました。

 

一方、私が生まれる前には

「保毛男田保毛男」というキャラが

笑いの対象となっており、

いわば「コメディ」として

ゲイ=揶揄の対象となっていました。

 

また教育や研修においても、

LGBTに関する情報はほとんど皆無で

全く教えられないままになっていました。

(最近では徐々に取り入れられているようです)

 

そのような環境のもとで過ごし、

自然とLGBT

「笑いの対象」「自分とは違う他者」として

認識して(しまって)いた人たちが

今ふと口にしてしまった一言や用語によって

「それは差別だ!」

叩かれてしまうことがあります。

 

私は自分自身がゲイであったので

その分野に関する知識は自然と身につきました。

 

しかし

もし自分がストレートだったら

LGBTと呼ばれる人たちに特に問題意識もなく、

「自分たちの周りにはおそらくいない人」

「ワイワイと楽しそうな人」

もしくは現状を踏まえれば

「よく権利を主張している人」

くらいの認識だったかもしれません。

 

もちろん私もセクシュアリティによって

差別はされたくないです。

 

しかしながら、情報が乏しい中で、

知らない故に無意識に放ってしまった一言によつて

「それは差別だ!差別主義者!」

強くバッシングされる状況も

ある意味では考えものかなと感じます。

 

もちろん「ホモは気持ち悪い」とか

LGBTの生き方は間違っている」みたいな

少々過激な発言については私も強気で抵抗します。

 

しかし

 

レズビアンの呼称として

『レズ』は不適切で『ビアン』が望ましいこと」

 

異性愛者は『ノーマル』ではなく

『ストレート』と呼ぶ方が望ましいこと」

 

などは、

私のLGBT当事者の友人や、

全然偏見のないストレートの友人と話していても

知らないという人が多数います。

実際ゲイの中には、差別用語とされる「ホモ」を

自称として用いる人も多いです。

(かくいう私も「オカマ」や「ホモ」を

自称としてノリで用いる時があります)

 

そのような人が

「友達の友達がレズなんだけど〜」

「私自身はノーマルだけどさ」などと口にした瞬間

「おい待て、それは差別だぜ」となるのも

少し考える余地があるかなと思います。

 

実際、何も知らずに、

とりわけ悪意なく用いた言葉によって

「え、マジか」というレベルに非難されると

LGBTはやたらポリコレに厳しい」

「言葉選びにひどく気を遣ってしまう」

という環境が生まれかねない気がするのですね。

そして、とりわけ悪意があったわけでなかった人がふとした発言によって

差別主義者として差別されることも

少し考えなければならないことだと思います。

 

 

 

私自身はゲイについて

いろいろ聞いてもらえると嬉しいです。

むしろゲイに対して

「いまいちよくわからない」

という雰囲気の人ほど、

話をしたいなと思うようになりました。

(奇想天外な意見がもらえたりするからです)

 

私自身は相手の用いる用語などよりも

相手の態度や顔色などを見ます。

ホモと呼んでも偏見がなさそうな人、

ゲイと呼びつつどこか腑に落ちてなさそうな人、

両方います。

 

一概に相手の一挙手一投足を責めるのではなく、

「なんか聞いた話、社会の雰囲気的には、

その単語使わなくなってきているらしいよ」

とアドバイスしたり、

LGBTの運動についてどう思う?

言葉に気をつけなきゃな、みたいな気をつかう?」

などと訪ねたり、

すなわちしっかりとした対話を通して、

いわゆる、マジョリティとマイノリティが、

うまく共生できる社会になって欲しいと思います。