雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

カミングアウトとアウティング

カミングアウトってしたほうがいいのでしょうか?

私の意見としては「人によりけり」です。

したい人はしたらいいし、したくない人はしなくていい。人から強制されるものでも禁止されるものでもないと思います。

 

私はしたくてしたというよりは嘘をついてる罪悪感や自分を偽ってる抑圧的な感情からせざるを得ませんでした。私の場合は理解者がいたから良かったものの、もしその人たちに否定されていたら今の私はいないと思います。

 

私にとってカミングアウトで1番怖かったのは一人目にするときでした。学校の先生だったんですが、「私がこの人に言わなければ一生異性愛者として偽って生きていくこともできる。アウティングされる可能性も0にできる」と、なかなかいうのを躊躇してました。そんなとき先生から「ゲイの友達がいてさ、ほんといい人でさ」という話を自然にされました。そのときでした。「あ、この人なら言ってもいい」と思ったのは。先生も薄々気づいていてきっかけをくれたのかも知れませんが(笑)。

(実名を出したりしていないのでアウティングではないです)

 

しかし一方で悲しい経験もありました。先生が授業で「ホモ」という言葉を用いて同性愛者を揶揄、否定しました。みんなが笑ってて私も必死に自分を「同性愛者を馬鹿にする異性愛者」に仕立て上げました。今思えば当時の自分は、やむを得なかったといえ共犯者だったなと反省しています。

 

それと少し話しは変わりますがアウティングに関して、「雨橋ってゲイなの?」とそこまで面識のない人に言われたことがあります。その時はもう偽るのも面倒で「そうだけど誰から聞いたの?」と聞くと「○○だよ」と言われました。○○は私が比較的オープンなのでいってもいいと判断したそうです。

なんとも言えない気持ちでした。私が○○を信用して言ったからいけないのか。それともオープンに振る舞うからいけないのか。けどサラッとアウティングする○○も○○でないか?という複雑な感情でした。

 

これ以上書くと何が言いたいのがわからなくなるので止めときますが、結局カミングアウトなんていらない世界がくれば、こういう悩みとか葛藤とかもなくなるんだろうなって思います。特にセクシュアリティに関するものは「言わなきゃわからない」ですから、難しい問題です。

 

思いの丈を書いてたら取り留めのない文になりましたが、まだしばらくは必要であろう「カミングアウト」と「アウティング」の問題、そういうのが必要ない時代がきてほしいです。