雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

「昔はワルでさw」「えっ、迷惑」

今日の内容は結構尖っているので

一瞥の際はご注意願います。

 

 

 

世間にはグレに走る人、ヤンチャなお年頃で

なかなかなレベルのことをする人もいますよね。

どこの学校にも1人くらいはいたのでは…?

 

未成年で大っぴらに飲酒喫煙をしていたり、

場合によっては無免許運転など、

犯罪に足を踏み入れていた人も

いるかもしれません。

 

たまに武勇伝のごとく、

「俺さ〜昔はヤンチャしててさぁ〜」

「親もしょっちゅう泣いてたw」

とか語られることがあります。

こういった武勇伝を語る人が

今や立派な人になっていると、

「えらいね〜昔はあんなに悪かったのに、

今ではこんな立派になって!」

みたいな美談になります。

 

 

 

鼻で笑っちゃいませんか。

 

えらい…?えらい?えらい…のか?

いや更生して当然だししなきゃやばいでしょ。

むしろ昔悪かった!って

人に迷惑かけてた話を美化されても…。

そしてなんで本来恥ずべきことを

カッコつけて語っている。

それ、自慢げに話すことではないぜ?

と思います。

 

こういうのが美談化されるのってなぜなんだ。

ギャップが大きいから褒められるのでしょうか?

いわばもともと−10だった人が10になったように。

20の「成長」。

 

それならきちんと昔から、

人に迷惑かけぬよう頑張ってた

5から10になった人のほうが、

たとえその成長が「5」でも

より賞賛されるべきではないですか?

 

百歩譲ってよほど親しい間柄なら我慢できますが

「俺の武勇伝!」みたいに語られても

「いやいやそんな迷惑かけてたような話、

自慢げにすることじゃないから」ってなります。

 

 

 

少し文脈は変わりますが、

昔は苦労したんだよね〜系も正直苦手です。

(なおこちらは、私自身が苦手なだけで、

実際に同じ経験をしている人の励ましになったり、

参考になる場合もあると思うので、

真っ向から全面的批判ではないです)

 

もちろん私もセクシュアリティのことについて

尋ねられることは結構あります。

「悩んだ?」とか「大変だった?」とか。

そのような場合は「まぁ悩んだかなー」

「ノンケに恋した時とかはね〜」と

自分なりの返答をします。

しかし自分から積極的に、

「昔ね、毎日病んでて、ずっと生きるの嫌で…」

って風には話さないかな、、、

 

というのは、自分自身がされて苦手なことを

自分がしたくないということに加えて、

そのような背景があったとしても、

それを彷彿とさせないような人が

素敵だな〜と思うからです。

 

実際「お前も苦労話してんじゃん」と

少し矛盾っぽくはなりますが、

確かに私もそれなりに悩んでいた頃はありました。

しかしながら、当時私を励ましてくれたのって

「俺も昔は悩んでたけど、

そんなことどうでもよくなるくらい今は楽しいし、

君もいつかそう考えられるよ!」なんて

過去よりも今を重視している人の言葉でした。

 

あくまで私の場合ですが、「つらいよね、わかる。

俺もね、こんなことがあって、こんなに悩んで」と

同情されるよりも「つらかった!けど今は!」と

明るく話を展開してくれるほうがありがたいです。

 

昔どれだけ苦労したか、辛いことがあったか、

という話よりも、現在の話に比重が大きい人。

いわば「苦労は確かにそれなりにはあったけど、

今はもう吹っ切れたし、それでいい!」のような

ポジティブなスタンスの人になりたいです。