雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

「将来の夢」の強制。

今日は珍しく体調が芳しくない雨橋です。

まぁ寝て起きたら治っているでしょう(笑)

 

今日の記事は尖っている、

かつ悲観的な部分も強いですのでご容赦ください。

 

小中学生の時に「将来の夢」と言うテーマで

作文を書かされることがあったと思います。

かくいう私も書かされました。

 

周りを見渡せば

「警察官になって困っている人を助けたい」

「みんなに好かれる先生になりたい」など

思い思いの夢を書いていました。

「優しいお嫁さんになりたい」

という女子も一部おりました。

 

一方で、私は全然筆が進みませんでした。

なりたいものが特になかったのもありますが、

当時は将来を全く思い描けなかったんですね(笑)

 

まず職につくような年代まで

「生きているか」が喫緊の問題でした。

視野の狭かった当時は、

20歳くらいから後の自分が想像できず、

悶々としたのを覚えています。

今思えば「生きていればそれでいいです」

そのままの気持ちを書けばよかったなと思います。

(先生から心配されるのが嫌で書けませんでしたが)

 

先生は

「なんかあるでしょ!

お医者さんとかスポーツ選手とか!」

と候補を出し、絞り出させようとしてきましたが、

残念ながら頭は働かず。

 

そして「家庭を築くことも素敵な夢よ!」

と言われた時、

「(いやそれができないんすわ!)」と心でツッコミ。

愛想笑いでその場を凌ぎましたが、

とりあえず何かテキトーに

それっぽい夢を書いた覚えがあります。

 

もちろん先生に悪意はなかったでしょうし、

何かしら夢を持つことはいいことだと思います。

私も夢を語れる友人たちが羨ましかったです。

 

ただ夢を持てない子に無理に語らせる必要も

ないのではないかなー、という気もします。

 

かなり皮肉的な言い方となりますが、

夢があってもなくても、

いずれは働かざるを得ないし、

「子どもの頃に思い描いた夢を叶えて、

それに満足している人って何人くらいいるのかな」

なんて少し思ってしまいます。

 

「今、特に夢がなければ『ないです』でもいいよ」

と言われていたら

即座に「今は特にないです、後々考えます」

と書いていたと思います。

 

今の小中学生たちも

「将来の夢」といった類の作文を

書いているのでしょうか?

 

もちろん夢がある子は存分に語ってほしいです。

 

ただ「子どもは夢があって当然!

夢があるのは素晴らしいこと!」

という雰囲気に、

特に夢のない子が飲まれないようにあってほしいな

なんて思いました。