雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

優遇措置?逆差別?平等って難しい。

アファーマティブ・アクションとか

ポジティブ・アクションなんて言葉があります。

 

日本語に訳すとなんだろ…

社会的弱者優遇措置…?

「弱者」や「優遇」という言い方は

適切かどうかは議論されるべきだと思いますが

一先ず社会的に弱い立場とされている人たちに

何らかの措置を施そうという政策のことです。

今日は性別を例に挙げて話しています。 

 

たとえばクォータ制とかは

これに当てはまると思います。

政治における女性議員や

管理職における女性の割合を決め、

それに応じていわば「割り当てよう」

という政策です。

 

また近年、某大学においても

女性に家賃補助をするという策が出ましたね。

 

こうした措置について

思うことを書いていきたいと思います。

 

前提としてこれらの策に決して真っ向から

反対するわけではないことを述べておきます。

 

男性は今までかなり優遇されてきたと思います。

私が生まれたのはおおよそ20年前ですが

その頃から今までにかけて、

やはり男性の方が優位に扱われているなー

と思うことは主観ながら多かったです。

 

私見として、男性は

「背負うもの、背負わされるもの」を

引き受ける(押し付けられる)のと同時に

優遇されてきた背景があるように思います。

 

詳しく言えば、

「女の子は結婚すれば食いっぱぐれはしない」

という「最終的には男に依拠すれば」みたいな話を

普段生活する中で今でも耳にすることがありますが

その逆に男性は「誰かを養わなければいけない」

「何かを守るべき」みたいな考えがあって

それらの社会的趨勢に沿った形で

公的な場(職場、政治経済)における男性比率が

高くなったように思います。

 

それが今や「自然」となってしまって、

男性優位の社会になったのではないかなーと。

 

さて話を戻して、アファーマティブ・アクション

 

どの政策について話すかにもよりますが、

たとえば議員に女性を一定数保証しようという策。

もちろん「女性の声」が挙がるようになり、

男女の発言する機会が平等に近づくと思います。

公的場における男女平等は大切なことです。

 

しかし形だけ増やしても…

という考えが否めないのは事実です。

社会の「平等意識」が十分でなければ、

一見、男女平等に近づいても

「女性だから優遇されていいね」とか

「実力ないのに性別だけで…」

みたいなことが囁かれ続けると思います。

これって根本的解決になってるのかな?

 

「女性を増やした結果、社会の平等意識が高まる」

すなわち「女性比率をあげるのが方法、

社会の平等意識を高めるのが目的」であれば

いいとは思いますが…どうなんだろう。

 

それはさておき女性を増やす「政策」を施さないと

平等になり得ない「社会」が問題なのであって、

ポジティブ・アクション

そこを問うてない気が正直しています。

 

また女性に一定の優遇措置を施す策。

これはケースバイケースですが

少し違うのではないかな、と思います。

 

真っ向から断固反対!ではないですが、

私が腑に落ちないのは

「性別」だけが基準となっている場合、

いわば「女だからいいよ!男はダメだよ」

みたいな場合は「?」となります。

 

たとえば、全く同じ経済的境遇にいる男女がいて

2人に対し「女性にはお金あげるね!」となるのは

なんとも言い難い気持ちになります。

 

経済的環境に苦しくても耐えてきた男性、女性、

裕福で特に金銭的に問題なくきた男性、女性、

他にも色々な背景や要因で異なり、

十把一絡げに語ることができない人たちを

単に「性別」など、一つの要因だけで優遇したり

不当に扱うのはどうかと思います。

 

もちろん今までの社会は女性を

不当に扱ってきた側面は強い気がします。

しかし、だからといって

「今までごめん!今日から女性を優遇します〜」

とするのも正直なんとも言えない気持ちです。

(「優遇」という言い方も定義づけできませんが)

 

無論、だからといって、女性が不遇に扱われても

いいわけではありません。

 

私見としては、理想論的ですが

やはり根っこ(意識的な部分)から、

性差別がなくならないと、

いくら形だけ平等を目指しても、

根本的な解決にはなりえないのでは?と思います。