雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

「男か女か分からない」について。

某ニュース番組が、

ある人物が男性か女性か分からないとのことで

本人にそれを尋ね、

保険証の開示などを求めたということを

耳にしました。

 

私はリアルタイムで

その放送を見ていたわけではありませんので

詳細には分かりませんが、

切り抜かれた部分だけ後から目にしました。

 

今回は当該番組へのバッシングという旨でなく

「とある人物が、男性か女性か分からない」

という状況について

考えてみたことを書きたいと思います。

 

正直、実際に社会で生活をしていると、

性別が分からない方が

いらっしゃることは事実です。

 

私だって時折

「あの方は男性なのか女性なのか、、、」

とふと考える瞬間があります。

 

自分を正当化するわけではありませんが、

このように考えてしまうのは

仕方のないことだと思っています。

 

これまで幼少期から「男女」という

概念があることを植え付けられ、

学校行事などでは、たとえば体育祭の競技など

男女別に扱われるものがたくさんありました。

 

実際今も、銭湯に行けば男湯、女湯に別れ、

トイレも男性用と女性用があります。

そして女性専用車両もあります。

 

このような中で、

やはりどうしても考えてしまうんだと

思います。

 

多くの場合、性別は可視的です。

ふと目の前に現れた人の性別は、

考えずともわかる場合が多い。

男性の場合は多くの場合、

髪が短い、比較的(背が高い)など、

女性の場合は多くの場合、

髪が長い、比較的背が低いなど。

またスカートなど服装や、

化粧などの記号によって

わかることも多いです。

 

だからこそ、

ふとそれが分からない人に遭ったとき、

気になるのだと思います。

 

しかし私は「男だったら何?」

「女だったら何?」と思います。

そのようなところは

本人のアイデンティティに任せておけばよい。

一般に生活する中で街で会った人の性なんて

(相手がそれを望まない限りは)

気に留める必要はありません。

 

ただ、もしこれが、

相手と結婚をするとかであれば

話は変わるかもしれません。

現行法上では同性間で結婚はできないため、

そのような点についてどうするかなどを

話し合うために

相手の性を知る必要はあるかもしれません。

また今の社会の文脈では、

女性専用エリアとされる場所などに

逆の性らしき方がいらっしゃる場合は

(時と場合によって)

相手の性を知る必要があるでしょう。

無論、性別違和の方もいらっしゃり、

問題は複雑です。

簡単に解決できる問題ではありませんが、

残念なことに実際に(下心で)女性に扮して

女性専用エリアに入ろうとする人もいます。

したがって、男女に区切られた空間においては

やむを得ず相手の性、性自認性的指向

明らかにせざるを得ない場があることも

事実だとは思います。

 

 

 

ただ今回は人の性に関して

ある意味、軽く取り扱ってしまったことに

非難が向いているのだと思います。

相手の性を知りたい」という気持ちは

やむを得ず刷り込まれてしまった意識で

あるかもしれません。

 

しかしながらその方法として、

「本当に失礼であることを承知の上で、

答えたくなければもちろん回答しなくてもよろしいのですが、、、」

前置きを置いたうえで

相手の回答だけを信用すればよいものを、

たとえば保険証の開示を求めたり、

実際に胸部を触ったりしてしまったこと。

そして最終的にその場面も含めて

放送してしまったこと。

 

仮に当人が良いといっていても、

もう少し視聴者への配慮や

デリカシーがあったほうが

良かったのではないかと思います。

 

結局は論調的に

番組へのバッシングになってしまいましたが

今後もいろいろな番組が放送されるでしょう。

性別のみならず、性自認性的指向

国籍やエスニシティ

障碍などのことについて、

私はもちろん第一に本人の意見を尊重し、

そのうえで社会の文脈に照らしてその内容が

倫理的に、道徳的にどうかという点に関して

熟考してほしいと思います。

そしてそれを「放送する」ことの

大きさについても考えて欲しいです。

 

もちろんいろいろな意見があるテーマを扱う際

万人に非難されない構成は

難しいかもしれません。

しかし、バッシングを

ゼロにすることはできずとも、

(気を払うことで)ゼロに近い状態にすることは可能だと思っています。

 

「ポリティカルコレクトネス

(政治的に「正しい」言葉)」について話すと

「細かい」とか「気にしすぎ」と

叩く人もいますが、

私的な場でももちろん、公的な場ではとくに、

これらのことによって傷ついたり、

不快な思いをする人がいないように

なってほしいなと思いました。