雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

主観で語る文系と理系の在り方的なもの。

当方、いわゆる文系です。

 

私見として思うに、

世の中は理系を推している傾向がある

と思っています。

 

文系の大学院生として、私がよく耳にするのは

 

・理系なら修士卒が良い

・文系は学部卒が良い

・文系で大学院に進むと就職がない

 

このようなことをよく言われます。

 

「え!文系で大学院って珍しいね」

何回言われたことでしょうか笑

 

まぁそれはおいておいて、

 

さっきも言ったように、

主観として感じることは

世の中が理系を推しているということ。

 

一時期は国として「文系は要らない」という方針を

打ち出したなんて小耳に挟みましたが、、、

 

 

 

さて、私の考えとして、

なぜ理系がこんなにも賞賛されているのか。

恐らくですが理系は目に見えて

何かを発見、発明しやすいと思いますし

割と直接的に人間の生活に寄与すると思います。

 

「Aという病気を治す薬を発明しました!」とか

「Bという症状を抑える細胞を

発見しました!」という具合に。

 

一方で文系って

何をしているのか、

何が得られたのか

が見えにくい。

 

よく言われます。

「文系院生ってさ、

結局に何してんの」

 

 

 

以下、私の考えを述べます。

 

ある意味、理系と同じく

より良い社会づくりに

貢献するための研究をしています。

 

(専門でない私が語るのも変な話ですが)

社会科学系、たとえば経済学なんかは

その意味が分かりやすい例かもしれません。

 

「これだけ税を上げればこうなりそう」

「こんな政策をすればこんな結果になりそうだ」

という具合に。

 

一方で、人文学系になってくると

なかなかにその目的が分かりにくい。

 

というわけで私が私なりに解釈した

文系学問とは何かをお話しします。

 

社会の在り方に対して

「本当にそれでいいのか?」と問うています。

それが文系学問だと思っています。

 

たとえば医療技術の進展は目覚ましく、

そのこと自体は素晴らしいことだと思います。

私も理系に憧れる一人として、

色んな面で理系を尊敬しています。

 

しかし一方で、

本当にそこまでしちゃって良いのかな?

過度に進歩しすぎて良いのかな?

と感じるのも事実です。

 

唐突にifの話ですが、技術が進歩して

心臓を取り替えられるようになったとします。

心臓を取り替えれば人生100年の時代から

200年、300年となったとしましょう。

そうなると経済的に富める人は

貧困層から心臓を

購入するようになるかもしれません。

または「心臓取り替えは一人一回までね」

みたいな法律が必要になるかもしれません。

 

それってどうなんだろう。

 

そこにある意味での「歯止め」というか、

発展していく中で、

少し回顧的になる点としての

文系学問があると考えています。

(もちろん理系でも

生命倫理などを扱うことがあるとは聞いています)

 

「理系の暴走を止める」なんて

過激な言い方はしませんが

社会の進歩を見守りつつ、

たまに振り返るべき場所として、

今一度、「人間とは何か」とか、

「人間ってどうあるべきなのか」とか、

そういうことを考える場としての

文系学問があってくれると良いなと思います。

 

 

 

その点で、私は理系とは仲良くありたいし、

有り体に言えば、理系と文系は

明確に区分できないものだと思っています。

 

理系の中に文系的要素はあり、

また文系の中にも理系的要素はあって

少なくとも私は完全なる区分をしたくないです。

 

文系だからと僻んでいるわけではありませんが

理系の人とは仲良くし、

そしてできればタッグを組みたいし、

実際、幸運なことに私の周りには

いわゆる理系の人でも

文系の有用さをわかってくださる方が多くいます。

 

時折「理系はカタイから好きじゃない」とか

「文系学問なんて意味がない」みたいな

文系vs理系のバチバチ構図も目にしますが

少なくとも私は、

文系と理系は明確に区分を図らず、

お互いに協力すべきものとして

共存してほしいと思っています。

 

 

 

以上、とある文系院生のつぶやきでした!