雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

私は「ひねくれている」らしいよ。

最近少し気だるさを覚えている雨橋です(笑)

 

私のこのしんどさはどこからくるのか。

 

知り合い数人に話したところ、

それっぽい答えに行き着きました。

 

考え方が素直でない、可愛げがないらしいです。

「だから疲れるのでは?」とのことでした。

 

「ひねくれている」

「(良くも悪くも)穿った見方をしがち」

という表現がしっくりくるようです。

 

以下、私のそういった点に関して具に述べます。

しかしかなり偏屈で読みにくいと思います。

「変なやつ」と思われることを覚悟で書きます。

 

 

 

いくつか例を挙げて説明します。

 

たとえば向かい合わせに人と座ります。

その間に折り紙を、

相手に表、私に裏が見えるように1分間置きます。

私は裏面の「白」を1分間見つめるわけです。

 

その時、私は「相手は何色を見てるのだろう」

「表は何色なのだろう」と疑問に思います。

 

そして1分経った後、

実際に表面を見たとき「赤」だったとします。

「あー!赤だったんだ!」で終われば良いのに

私はここで「赤」だったことが分かっても

満足できません。

 

というのは、

「私が今見たときは確かに『赤』だけど、

私が裏面の『白』を見つめていたさっきの1分間も

本当に『赤』だったのか。

相手が見ていた(自分が見ていない)1分間の間は

『青』や『黒』で、

そこから『赤』に変色した可能性もある」

なんて勘ぐり始めます。

 

私が頼れる情報は、

相手が「俺が見ていた時も『赤』だったよ」

という証言だけです。

もちろん大抵はその言葉を信用しますが、

時間は不可逆なことを踏まえれば

実際に私の目で、

1分前に戻って確認することは不可能です。

 

生きている限りそんなことばかりですよね。

 

今この瞬間に、

月の表面で起こっていること、

地球の裏側で起きていること、

海の底で起こっていること、

隣の部屋で行われていることなんて分かりません。

 

おそらく球体であろう物を目にしている時、

裏側を同時に見ることは不可能なので

「もしかしたら裏はトゲトゲしていて

球体じゃないのかも」と考えたり、

「今この瞬間に俺と同じ曲聴いてる人って

世界にいるのかな?いるとすれば何人?

実際に調べる方法は?」

なんてボーッと考え、

考えることの意味を考え、

また不可能であろうと帰結しては

「何してんだろ」となります。

 

もちろん人間関係においても、

実際に口にはせずとも、表情や口調や声色から

相手の感情や思惑なんかを考えます。

 

「そら疲れますわ」と言われました(笑)

 

なんでなんだろうと考えた時、

セクシュアリティのせいにするのは

合理化(=逃げ)だと思いますが、

自然とみなされていることや

(自分も含めて)自然とみなしている人に、

斜に構えてしまう癖が、

未だに拭えないのだと思います。

 

これが今、強めに出ていて

しんどいのだろうと何人かに言われました。

 

友達が減りそう。(笑)

 

この考えをプラスに生かせる界隈ってないかな

なんて考えつつ筆を置きます(笑)