雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

『サヨナラの意味』PVのメッセージ

今年もあと少しですね。

 

さて、乃木坂46の『サヨナラの意味』という曲は

ご存知でしょうか?

好き!もしくは聴いたことある!という方も

多いのではないかと思います。

今頃?みたいに思われても仕方ないですが

そこには目をつぶってください(笑)

 

youtubeにあがっているので

気になる方は是非観てみてください。

オススメはPVです。今日の記事の内容は

PVの分析とまでは行かずとも

勝手な解釈、また差別問題に繋げて話しています。

ネタバレが嫌な方は是非一度PVをご覧ください。

 

余談ですが、私にとっては思い出の曲です。

大学を卒業し、彼氏と遠距離になる際、

改札に入った後、ひたすら泣いて手を振ったときに

聴いていた曲です。未だに聴くと涙が出ます(笑)

 

さて、本論に入ります。また勝手な解釈ですので

正確な分析などではないことをご容赦ください。

 

PVの世界では感情の起伏で体に棘が出る棘人と、

そうでない人たちのやり取りを描いています。

(語弊を招くかもしれないですが、

以下では棘が出ない人を一般人とします)

 

その二者間では「共に生きていくことを誓った」

契りを忘れないための儀式として

例年、棘刀式というイベントが行われます。

そこでは一般人の代表が、棘人の代表の棘を

刀で切るという催しが行われます。

 

少し省略しますが、色々あって当日、

一般人の代表が刀を振りかざした後、

刀を止めて、棘人の代表の手を取り走り出します。

 

さて、この最後のシーン。

私はこのシーンに心を打たれました。

というのは「なぜ棘を切らなくてはいけないの?」

私はこの儀式の意味を、「一般人に(近く)なれ」

「危ない、怖いから棘なんぞないほうがいい」

という意味でなされたと考えました。

 

すなわち棘人は劣位である、

変わるべきは棘人というニュアンスがあります。

 

この最後の棘を切らず、棘の生えた棘人の手を取って

走り出すシーン。

ここでは「ありのままで」いい、

お互い「自分らしく」仲良くいようという

メッセージだと思います。

 

専攻している分野の影響もありますが、

優位にあるものが劣位にあるものを

かわいそう、不憫だから

「受け入れてあげよう」「認めてあげよう」

みたいな感じで差別問題は取り組んでも

差別は形だけ無くなっても残り続けると思います。

また「受け入れるけど、こうなってね」

「ここまでは認めてあげるよ」

みたいなスタンスも同様。

 

「私はこうだけど、あなたはこうなんだ、

けどみんな違ってみんないいよね」というのが

私の望む世界です。

 

いい曲、PVなので是非聴いてみてください(笑)