雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

老後の心配をするゲイのぼやき。

今年24歳の年男、雨橋です。

(今日の記事はあくまで一個人の見解です)

 

したがって今年生まれた子は

私と同じ戌年になるのですね。

うーん、ピッチピチの後輩たち。

 

しかし、一方で少し憂いた目にもなります。

学ランを着ていたのが

ついこの間のことのようなのに

もう20代も半ばなのか、と。

 

H30年生が私の今年の年齢、

すなわち24歳になった時、私は48歳

そしてその12年後は60歳

さらに12年後は72歳

 

まだまだ先か?

いいえ、

多分あっちゅう間です。

 

というのも

私自身、ここ数年、1年が物凄く早く感じます。

個人的な体感速度的には

もう人生折り返してんじゃないかなって感じです。

 

(長寿が是とされることに異議はありませんし、

家族にも長生きしてほしいと思います。

しかしながら私自身はそこまで長生きしたいとは思いません。

太く生きられれば短くても…と思っています。)

 

 

 

さて、とりあえず平均寿命まで、

すなわち80歳くらいまでは生きられたと仮定して、

心配になるのが老後。

どうなってるんだろう。

想像がつきません。

 

 

 

よく「幸せ」として定義されるような像、

例えば結婚して子を授かり、孫に囲まれて…

みたいなものに憧れは感じません。

 

むしろ一人で悠々自適に

暮らしてやろうと思っています。

「稼いだ金は全て自分のために使ってやっぜ」

という気概でいます。

 

今は結婚主義的な傾向も低くなってきており

女子友(結婚願望なし)と、

「もし可能ならルームシェアして住もっか」

みたいな話もしています。

それぞれの部屋はありつつ、

時折リビングでお酒を嗜みながら語らう。

割と素敵かも。

 

あと唯一決めていることは、

遺産を±0でこの世を去るということです。

鐚一文残す気はありません。

 

パートナーが健在であれば多少は遺しますが、

特に遺す人もいないならば

豪遊し、遊び尽くし、

もしそれでも遺るならば

どこか信用できる団体に寄付したいと思います。

 

若気の至りでそんなことが言える、

なんて揶揄も受けたりします。

 

しかし同性婚ができるようになっても

今のところ結婚はしないつもりですし、

その面ではある意味で「背負うもの」がない中、

自分が食っていけるだけの道を

早く確立したいなと思います。

 

 

 

と同時に上記のような戯言は

遺せるレベルになってから言います(笑)