雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

同性愛は「趣味」じゃないからね。

今日の記事は少し尖っています。

私見です。ご了承ください。

 

 

 

さて、同性愛は趣味じゃないです。

 

 

 

中学時代にセクシュアリティに関して

「女の子を好きになれない、

そして少し男子が気になる」

という相談をした時、

「大丈夫、一過性のものだから

しばらくしたら『ちゃんと』女の子に興味湧くよ」

と言われました。

 

一過性のものではありませんでした!!!

 

「女を知れば変わるかもよ」と言われ、

当時は少しばかり「期待」を持って

女性を好きになるように努めました。

 

恋愛感情一切湧きませんでした!!!

 

性的指向は変えられるものではありません。

もちろん移り変わる人もいるでしょうが、

少なくとも自分の意志で

変えられるようなものではないと思います。

 

 

 

当時は結構傷つきましたが、いいんです。

私はゲイとして今は幸せだから。

 

ただ私が(それなりには)幸せだからと言って

他のゲイもみんな幸せなわけではありません。

実際誰にも言えずに悩んでいる人もいます。

そんな人がいる限り、私は語り続けます。

 

まぁどちらかといえば、

社会を良く!ということはあまり考えておらず

(というのは既に期待していないから☆)

単に「仲間はいるからね」という

いわゆる当事者への存在表明が目的です。

 

 

 

「同性愛は間違っている」

という文言を目にすることがあります。

いわゆる当事者の私からすると、

もちろん悲しいですが

私はこの文言を全面否定はしません。

ただ同じ理屈で

異性愛が正しい」

とも言えないと思っています。

 

異性愛やら同性愛に

「正解も不正解もなくないですか?」

というのが私のスタンスです。

なんで中心的な「普通」やら「正解」

求めようとするのか。

 

「子どもができるからだ

生命サイクルの理に適っているから

異性愛が正しいのだ」と言われもします。

 

ただ子どもを産み育てることができるからといって

本当にそれが正しいのかな?とも思います。

それを「しなければいけない、

できるから正しい」って結論に行き着くことは

私も未だに腑に落ちていないです。

 

もちろん子どもが欲しいと願う人、

願っても授かれない人がいることも事実です。

ただ私は

「生命のサイクルをつなげること」

が絶対的美徳、正解だとは思いません。

 

男女間では子どもができるから、

生命のサイクルをつなぐことが人間の役割だ

なんて誰が決めたんですかね。

 

産まない選択をする人が増えて、

少子高齢化が進んだとしても、

それはそれで自然ではないですか?

事象を自然的、反自然的と語ることは

好きではありませんが、

無理矢理生命サイクルを繋げようとすることが

ある意味では「反自然的」な気がします。

そのサイクルをもとにして、

社会が後付けした制度に合わないのならば

問題があるのは

その後付けした制度である気がします。

 

最近LGBTの権利や人権に関する議論が白熱しており

私も少しばかり意見があるので本記事としました。

 

 

 

さてさて、、、眠い。