雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

楽しい宴とつまらない宴

今日の記事は一個人の意見で、少し辛辣ですが昔から思っていたことを書きます。

 

今日お酒を飲んできました。

親友の妹さんとで、とても楽しかったです。

小説の話、仕事の話、将来の話などを肴に

非常に酒がうまい宴でした。

お酒は好きで選り好みは無く

ビール、ワイン、焼酎、日本酒、何でも飲みます。

最近は特に甘露酒、カルーアなど甘めが好きです。

最近は減りましたがひとり酒も好きですね。

 

今日の思ったのは酒の飲み方、宴の在り方です。

 

帰りの電車内、明らかに泥酔した人が。

席はいっぱいなのでフラフラで目は虚ろ。

周りも嫌な予感を察して明らかに避けていました。

案の定、服の前側は目も当てられない有様。

状況を察した、とある女性がスマートに介抱し、私も協力を求められて壁側へ誘導しましたが、、、

人に当たる、話しかける、立ったり座り込んだり…

 

酒を飲んで公共交通機関に乗るななんて言えませんし、むしろ飲んだなら公共交通機関か代行やタクシーで帰るべきでしょう。飲酒運転なんて言語道断。

しかし、まぁなぜそうなるまで飲んだんだと。

 

昔からベロベロの酔っ払いが苦手です。

ほろ酔い程度で人様に迷惑でないなら全然気にしないですが理性吹っ飛ぶまで飲んだ人を駅や電車で見たときの「うわ…最悪…」感。

 

あと「量を飲むことが美徳とされる」飲み会。

一部の層が楽しけりゃ他なんて御構い無しで、飲まない、飲めないとつまらんと揶揄される。

それがその場において伝統とかしきたりならそんなチープなもの糞食らえって感じですね。

私見からしたら飲みたい時に飲みたい物を飲めないことの方が数倍つまらないです。

コールが始まり、グラスが空になると次から次へと注文って、楽しさがわからないです。

 

「なら行かなきゃいいじゃん」

ですよね。

一度顔をのぞかせて、そういう系統の飲み会だと分かったらそれからは大事な付き合いでも行かないです。同じ考えの人が数人いるのですが別場所でその数人で飲みます。

この考えを「協調性がない、ゆとり世代はこれだ」と総括された時はさすがに唖然としました。

 

吐くまで飲んで立ち上がれなくなったこと、そういう人が出たことを武勇伝みたいに語られても乾いた笑いしか出ないです。

 

私の好きな宴は、酒はあくまで脇役、メインはコミュニケーションな場です。

酒がメインでコミュニケーションが脇役になってる会は恐らくもう行くことはないかなと思います。