雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

宿題代行、儲かりそう。

こんばんは。発表を終え、一息ついた雨橋です。

 

宿題代行サービスなるものがあるらしいですね。

数年前に知ってまだ続いているのだと驚きました。

 

良くも悪くも便利な時代になりましたね。

 

私は宿題を比較的早めに終わらせる人でした。

高校の頃は夏休み、苦手な数学の課題が大量に出て

ヒィヒィ言って結局その年の最後の登校日に出した覚えがあります(笑)

クソ真面目なのかどうなのか…(笑)

 

さてさて「宿題代行サービス」なるもの、個人的にはなんか腑に落ちないです(笑)

本来自分ですべきものを対価払ってしてもらう…

これは飯作るの苦手だから外食で済ませたり、

掃除の時間がないから業者の方に頼むなどの

「家事労働の外部化」とは一線を画す気がします。

 

けど確かに、正直「これ必要?」と思う宿題も無かったわけではないんですよね。例えば工作とか(笑)

しかし親とのコミュニケーションの手立てとしては役立つのかな…とか今更思いつつ、、、

 

さて、私は宿題代行サービスには基本的に反対です。

義務教育中については特にです。

 

ですが逆に、疑問に思うことがあります。

それが「一律」の宿題制度。

同じ学校、教室にも色んな子がいます。

勉強についていけず、また家も貧しいため塾に行けない子もいれば、受験を視野に入れた家庭教師付きの子もいます。

 

無論、個人に合わせて宿題を出すことはできないですが、その子のレベル、家庭の事情などを考えず同量同質の宿題を課すのもフェアかといえば難しい。

ある意味では平等なようで、よくよく考えたらそうでもないような気がするんですよね。

 

私は「間に合わなきゃ叱られなさい」派ですが、

例えば読書感想文も「書かなくてはと思いながらも書き方が分からず誰もついていてくれなかったから書けなかった子」と「特に書く気は無かったが親の協力のもとで書けた子」がいて、前者が絶対的に非かと言われればそうではないと思うんです。

勿論、宿題は1人でできる子もいればできない子(説明が必要な子)もいて、またドリルなど比較的単独でできるものもあれば、大規模な理科実験などは大人の協力が欲しい場合もあります。

 

宿題代行サービス。

サービスとして成り立っているということは

一定の需要はあるということですよね。

 

「してもらう」というのはなんだかな〜と思います。それならば、(簡単そうに言いますが)地域のコミュニティ(公民館や学校)で、有志の親や学生が勉強会的なものを開いたりする方がいいのでは?と思います。

 

さてさて、私もかわってほしい課題と発表がまだまだ続きます。

ですが休息も大事!酒飲んで寝ます!(笑)