雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

打ち上げ花火は好きなようにみれば良き。

おはようございます。

花火の季節ですね。

 

大きな花火大会があるたびに、

SNS上に打ち上げ花火の画像や動画が

たくさん上がるシーズンとなりました。

なんとも綺麗です。

 

instagramtwitterで花火が楽しめちゃう。

足を運びたいとは思っているものの、

暑さ、忙しさ、距離的な問題などから

なかなか簡単に行くことができない私からすれば

自宅で花火が楽しめるのでありがたいです。

 

みんなもっと

あげてくれていいんだよ?

 

 

 

さて、ときどきある議論ですが

打ち上げ花火などをはじめとする

一瞬、もしくは一過性のイベントに関して

写真や動画に頼ることなく、

「思い出は目に焼き付けるものだ」という論。

また一緒にいる人にも失礼なので

その場の雰囲気などを

五感で楽しめというものがあります。

 

言わんとすることは分かります。

相手との時間を大切にするという点では

納得できます。

 

一方で私からすれば

好きにすれば良いのでは?

という感覚です。

 

あくまで持論ですし、

ここでガチガチに

「目に焼き付けろ」派の人を叩けば

同じ穴の狢ですが、

私自身はどちらかといえば

一瞬を画像や動画におさめたいひと。

料理、風景、イベントなどでも

基本的に後で見返したい人です。

 

「目に焼き付ける」ことは素晴らしいですよ。

けど私はそんなに器用なことはできないです。

(視力もそんなに良くないし…(笑))

私は目に焼き付けるのに加えて

一応保険的な感じで撮っておいて、

もしくは録っておいて、後で見返したい。

形あるものにしたいです。

 

「形になった時点で価値が薄れる、

刹那的な儚いものであるから価値がある」

みたいな論にもなるかもしれませんね。

そんな哲学的議論に行き着くならば

私的には「好きに観たらいいじゃん」

って思います。

 

まぁラブラブカップルであれば

「もー!スマホばっか触ってないで云々」

「ごめんごめん、花火よりお前の方が云々」

みたいな会話を提供してくれるかもしれませんが

別に目に焼き付ける派が悪いわけでもなく、

カメラにおさめる派が悪いわけでもない。

 

好きにみましょ、泡沫花火。