雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

SPというお仕事と妙な腑に落ちなさ。

本記事は語彙力の無さが露呈しています。

悪しからず。

 

SP、略さず言えばセキュリティポリス

重要とされる人物を守る人たちです。

ドラマや映画で出てきますがかっこいいですよね。

 

よく海外から大統領や首相が来日したとき、

黒いスーツに身を纏った集団が彼らを守ります。

実際に私も首相を見たことがあるのですが、

彼を囲うようなかたちでSPがいました。

 

さて彼らの仕事は人を守ることです。

その人物に危機が迫れば身を挺して守ります。

 「危険な仕事」です。

 

以下の文は私の持論で、SPの方々を

非難しているわけではないことをご了承ください。

 

もちろん彼らはそれを生業にしているわけですが

なんか私の中で何処と無く

腑に落ちない部分があります。

というのは重要とされる人物を擁護するために、

命に序列が付いているような気がするんですよね。

 

親から生まれた同じ人間であるのに、

「重要」とされる人を守るために、

SPの方々が犠牲になるかもしれないわけで、

うーん、、、なんだかな、、、となります。

 

たまに勘違いされて、

重要人物を軽視してる!と思われたりしますが

そう言うわけではないです。

もちろん両方の命が、

私の中では「平等に」大事で、

責めるべきは彼らを狙う人らなのですが、

SPという仕事を知った時から

なんとなく個人の重要度?みたいなものに

優劣が付いている気がしてしまいます。

まぁ政治的な側面から見れば

括弧付きですが「重要度」に

差はあるかもしれません。

ただ命に関わることとなると、

完全に納得しきれない自分がいます。

 

たとえば、仮に私の家族の誰かから

「SPになった」と聞くと、

誇らしさと同時に、他の仕事より大きな不安を抱え

また誰かを守るため犠牲になったなどと言われると

腑に落ちないというか、、、

なかなか言葉にするのは難しいですが、

おそらくわだかまりを抱えてしまうと思います。

たとえ本人が望んでそうしたとしても、

「社会的にはうちの家族よりも

重要人物の方が大事なの?」という気持ちは

拭いきれないと思います。

 

彼らはそれでお金をもらっていますし、

立派な仕事です。尊敬しています。

 

けど誰かのために身を挺す。

私にはおそらくできないかな、、、