雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

人が好きな理由。

対人恐怖は皆無、雨橋です。

 

皆無といえば嘘になるかもしれませんが、

突然キレたりするような人でなければ

割と何事もなく接することができます。

人見知りもほとんどしません。

 

私はよく

人間が好きなのか嫌いなのか分からない

と言われます。

 

私もよく分かっていません。

 

おそらくは、好きなのかなと思うのです。

決して嫌いではないかと。

 

ただ、愛を求めてとか、

温もり欲しさに、という好きではありません。

 

そもそもとして、人間に興味があるんですね。

 

人と助け合い、競り合い、

何かを隠し、何かを欲し、

喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、

そしていずれは死んでいく、

絶対的永遠はない儚い存在。

 

なぜ人のために死ぬことができ、

一方では何のためらいもなく殺せるのか。

なぜ無償の愛を与えられる一方で、

慈悲のない憎悪の念を抱けるのか。

 

 

 

だからこそ、と言っては変ですが、

私は基本的に「逸脱した」人に関心が湧きます。

この逸脱自体も、誰が決めたのか、

おそらくは社会規範ですが

あまり人には話さないようなことを

隠している人、そんな人を

どこかしら求めているのかもしれません。

 

私だって、実際誰にもいえないような「秘密」が

セクシュアリティ以外であるわけで。

おそらくそれを知って去る人だっているでしょう。

 

一方で話したことがある人だっています。

そういう人たちって、

やはり何かしらを抱えて生きていて。

 

共感なんて言葉で語ればチープですが、

抱え込んだものの捌け口とはなるわけです。

 

だからこそ、

どこか偏った見方、というか、

ある種の考えに対し、

「えっ、気持ち悪い」とか

「なにそれ、ありえない」

みたいな目しか向けられない人は

自然と疎遠になっていくような気がします。

 

みんなの秘密が知りたい。

秘密のシェアをしよう。

 

そんな気概で、今日も生きています。