雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

命の期限が法で定められたとして。

※本記事では死について扱うため、

センセーショナルな話題です。

苦手な方は踵を返すことをお勧めします。

一部の方にとっては不謹慎だと

感じられる表現もあるかもしれませんが、

決してふざけたつもりはなく

真摯に死について考えた所存です。

 

※以下はあくまで個人の意見で、

私自身は安楽死などの問題については

現状、賛も否もことを述べておきます。

 

 

 

「命の期限が法律で決められたらどうなるか」

と考えることがあります。

 

ディストピア的な発想ですが、

友人と話しててふと上がった話題で、

映画か小説か何かから

浮上した話題だったと思います。

「今後、安楽死が合法化したら

家族に負担をかけたくないみたいな理由で

自ら死を選択する人も出てきそうだね」

みたいな話だったようにも思います。

 

「今後、仮に◯才になったら

宇宙に送られるという法律ができたら

どう思う?」という類の話。

 

今日はその制度の善し悪しなどは別として

私が死とどう向き合うかについて

思うことを書きます。

 

 

 

仮に人間の命の期限が

80年と決められたとしましょう。

(80年という数字に深い意味はありません)

 

私に残された余命は55年、

親に残された余命は30年です。

(当然といえば当然ですが

兄弟について考えると、

下の子ほど生涯親と過ごせる時間は

短いのだなと気付きました)

 

さて、本題。

仮に親と過ごせる年数が、

決められた状況になったとき、

私は親孝行するだろうか。

 

どうだろう。

実感がわかないということもありますが、

まだ30年もある、と考えてしまう気がします。

もちろん人生何が起こるかわからず

明日親が亡くなるかもしれないのに、

期限ギリギリまで親が生きているという前提が

私の中にあることが浮き彫りになりました。

 

仮にあと1週間で、

親がこの世からいなくなるとなるとすれば

おそらくこんな呑気にブログなんか書かず

すぐさま実家に戻って

必死に親孝行しまくると思いますが、

まだまだ健康で生きているだろうという前提が

私の中にあるようです。

親孝行のしたい時分に親はなし、と言いますが

そのようなことになってしまいそうだと

ひしひし痛感しました。

 

私も早く孝行出来るようにならないと。

 

 

 

続いて、自分のリミットに関して。

あと55年の命だと言い渡されたとしても

おそらく今と変わらない生活を送るでしょう。

残り20年や10年でも変わらず。

あと10年かー、くらい。

 

恐らく残り1年頃になると

死を鮮明に意識するようになると思います。

きっと、いわゆる終活とかも始めるのかな。

これが最後の誕生日かーなんて思いそう。

 

そして迎える期限の前日、

私はその現実を受け止められるのだろうか。

明日、私はこの世を去るということに

正気でいられるのでしょうか。

「命には国が定めたリミットがある」

という社会の考えが浸透していたら

心の準備ができて、

そんなに死に怯えなくなるのかな。

少なくとも今、

「明日、君には死んでもらうよ」

宣告されたら

正気の沙汰ではいられないと思います。

(いや、案外いられるのかな、、、?)

実感がないのでどちらとも言えないです。

 

 

 

 

 

人間の致死率は今のところ100パーセント。

人は生まれた瞬間から

死へのタイムリミットが近づいています。

いつか必ず死ぬとは分かってるのに

なぜこんなにも死って遠い概念なんだろう。

 

私がまだ比較的若いからでしょうか。

それとも人間はそもそも死が怖くて本能的に

考えることを避けているのでしょうか。

もしくは、予め体験できないからでしょうか。

「先週末、一回死んできたんだけど、

割と悪くないよ」

みたいな話をされれば、他人の死や

自分の死がもっと身近になるのでしょうか。

 

普段の生活の中で、ご飯を食べたり

ウォーキングをしたりしながら

「俺もいずれ死ぬのかー」なんて

深く意識することは、まずないですよね。

(ある方もいらっしゃるかもしれませんが)

 

仮にリミットが60歳だとすれば

親と過ごせる時間はあと10年。

それでも恐らく私の感覚では

「あと10年はあるわ、

できるだけ親に顔見せとこ」

程度の意識だと思います。

(最後まで親不孝な側面が垣間見ある私、、、)

 

皆さんは仮に生きられるのが

あと何年というリミットが設けられたとき

どのように感じ、

どのように過ごしますか。

 

私は今よりともう少し、

自分自身が死を身近に

意識すべきだなと感じました。