雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

院生だと言うことが恥ずかしいという心理。

大学院生に進学し、

現在、博士後期課程である雨橋です。

 

さて、本記事のタイトル、

研究者や院生の方々に

喧嘩を売っているようなものにみえますが

これは今の私の率直な気持ちです。

 

ただ誤解を生んではいけないので説明すると、

「大学院生であること」

が恥ずかしいのではありません。

自分でいうのもおこがましいですが、

私自身、大学院生は

一つのきちんとした身分だと考えています。

 

私が覚える恥ずかしさというのは、

「大学院生と称するに

自分の実力が及んでいない」

がゆえに生じるものです。

 

とりわけて何かができるわけでもなく、

目立った業績があるわけでもない。

語学に長けているわけでもないし、

論文は少しずつ書き進めてはいるものの、

常に浮き足立っているような感覚。

 

なんだろう、私が想像する大学院生像の

ハードルが高すぎるのでしょうか。

それとも、周りが凄すぎるのでしょうか。

 

私はそもそも競争心があるわけでもなく、

「自分がしたいペースで」

研究しているわけですが

なんかそれだと十分でないというか、

周りとの温度差のようなものを感じて

どことなく「大学院生です!」というのが

憚られる気持ちになります。

ありていにいえば心の中は

嫌味とかではなく、

「こんなんでも、一応は大学院生なんです」

という感じです。

 

 

「かつてあった研究熱が冷めたのか」と言えば

そういうわけでもないんだよな。

 

研究は楽しいし、これからも続けたいと思う。

 

けどふと冷静になった瞬間に、

自分の実力のなさに辟易し、

「やー、この世界でやってけんのかな」と

名状し難い不安に襲われるんですよね。

 

 

 

やっぱ何か強みがなければいけないよね。

研究科やコース、もしくは研究室の中で

「この分野なら誰にも負けない」

みたいなものがあると心待ちは変わるのかな。

 

 

 

やー、けどやっぱり、

以前、とある先生に言われた

「今の力で生き残っていくのは難しいよ

研究を続けたいならもっと頑張らないと」

という言葉がこたえてるんだなー。

おそらくは私を気遣ってかけてくれた

「愛の鞭」なんだとは思いますが

私にこの鞭は痛すぎたよー、、、

 

その一方で、

「着実に研究を進めているし真面目でいい」

と言ってくれる先生もいらっしゃって。

ゆとりが云々とは言いたくないけども、

やっぱ私は褒められて育ちたいなぁなんて。

 

 

 

周りと比べたくはないけど、

20代半ばにして周りは自立して安定しゆく中、

未だに先生の言葉に一喜一憂してる自分が

これまたなんかむず痒くどこか恥ずかしい。

 

 

 

やっぱとりあえず、強みを作ろう。

「この分野だけは絶対に誰にも負けない!」

っていうところを作ろう。

そしたらきっとこの心持ちも変わるはず。

 

 

 

頑張ります。