雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

どうぶつの森の世界に憧れるわたし。

※本記事は決してどうぶつの森アンチが

書いたものではありません。(寧ろ好きです。)

しかし、現実世界と比較をしているので

不快な気分になりそうな方は

踵を返すことをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

先生:

「論文に使う データは 出せたの?

次の 締め切りは 今月末よ」

 

こんなことをいう住民がいたらきっと

わたしはどうぶつの森

ハマっていなかったでしょう。

 

 

 

さて、今、あつ森という呼び方で

「あつまれ どうぶつの森」が

流行っているらしいですね。

 

私はNintendo Switchを持っていないので

このゲームはしていないのですが、

どうぶつの森シリーズは大好きです。

(かつてのシリーズはいくつかしていました)

 

 

 

本体とソフト、

買ってくれる人いないかな…笑

 

 

 

さてさて、話を戻して、

どうぶつの森って癒されますよね。

 

可愛い住民たちと過ごすほのぼのした日々。

どうぶつの森の世界で過ごしたいな。

住民に服をあげたり、もらったり。

好きな家具で部屋をデコレーションしたり。

木をゆすれば金が落ちてきて…

岩を突けば金が出てきて…

 

 

 

ふと、リアルな人生ってなんだろう

という考えに至りました。

 

 

 

そこで、以下では、

現実世界とどうぶつの森の世界の違いから、

私が後者の世界に憧れる理由を

簡単にまとめてみました。

(浅く古い知識なので

今回の最新作とは異なる部分もあるかもです!)

(虚しくなりそうな方は見ないでね!)

 

 

 

 

 

 

1.上下関係がない

 

「新参者だから」「年が上だから」

みたいなことで

気を使わなければならない現実世界。

 

一方で、どうぶつの森の世界は

気を違うことはない。

住民みーんな同じ友達、平等。

 

上司:

「俺が 若い頃は

もっと 厳しかったんだぞ

今の若い子は 楽できて 羨ましいよ」

みたいなことを言う住民はいません。

このような言葉に

苦笑いする必要もありません。

あぁなんて住みやすい世界、素敵かよ。

 

 

 

2.陰湿ないじめなどなく平和

 

住民同士ケンカすることはあるみたい?ですが

陰湿なものはなく可愛い程度のもの。

 

〇〇:

「なんか ★★って ウザくない?

調子乗ってるから 今日からハブろ」

★★

「〇〇って なんか 気に食わないわ

追い出すために みんなで無視しよ」

こんなこと言ってる住民がいたら

ビビリ倒しますよね。テンションも下がる。

 

お店に対して

「あそこの店には あったのに

なんでこの店には ないんだ!」

などとクレームをいう住民もいない。

 

平和な世界、とてもいいね。

 

 

 

3.せからしさがない

 

先生:

「この書類は 来週まで

その書類は 今週中に 提出してね」

どうぶつの森の世界に

こんなせからしさはありません。

 

現実世界のように

常日頃から「23時59分まではセーフ!」

なんてビビらなくても平気。いいなぁ。

 

 

 

4.金稼ぎがラクチン

 

現実世界では、お金を稼ぐためには

働かなければいけません。

○時から○時までに〇〇をする、

というように。

 

けどどうぶつの森の世界は

木を揺すったり、

岩突くだけで金が出てくる。

 

俺も学校行く道の桜の木ガンガンぶつかったら

一万円札降ってこないかな…

ちょっと大きめの石をカンカン叩いたら

小銭じゃんじゃん出てこないかな…

現実世界って厳しいな。

 

 

 

きっと、他にもいろいろありますね。

 

私的にはある面で

恋愛がないのがいいかもしれないです。

(住民に恋する人もいるかもしれませんがね)

 

「雨橋って 彼女 いるの?

どんな子が タイプ?」

 

「結婚は したほうが いいよ!

家族をもつと 幸せだよ」

 

いやー、

よく考えたらこれが一番嫌かもしれないわ。

こんなこと聞いてくる住民がいたら

虫取り網でボコボコのボコにして、

引越しに追い込むわ…笑

 

 

 

 

てなわけでつらつらと書いてきましたが、

実際なこのようなしがらみや葛藤がある故に

現実世界が面白いのかもしれないですね。

(綺麗事)

 

どうぶつの森の世界には

憧れるくらいがちょうど良く、

実際、この世の中が

どうぶつの森の世界となったとしたら、

案外物足りなく感じてしまうのかも。

 

 

 

4月になりました。

現実をみて、適度に頑張りましょう。

3月9日で懐かしむ、ほろ苦い片思い。

今日は、レミオロメンさんの曲にもある

3月9日です。

 

この曲を聴くと、

高校3年間の片思いの日々を思い出します。

 

今日はそんな彼と過ごした

甘酸っぱい日々を思い返しつつ、

コーヒーを飲みながら

つらつらと書きたいと思います。

(自己満要素満載です!)

 

 

 

高校に入学してからしばらく経った頃のこと。

バスで通学していた私は

バス停に佇む同じ学年の男の子に恋しました。

「大人っぽくてかっこいいな」

そんな感じだったと思います。

 

そんな彼に勇気を振り絞って話しかけ、

当時はLINEなんてなかったので、

赤外線通信で連絡先を交換してもらいました。(若い頃の行動力ってすごいですよね)

 

彼は無愛想そうな容姿に反して、

意外にも連絡がまめな人で、

当時は毎日メールをしていました。

趣味の話、勉強の話、進路の話などなど。

(病気の気遣いとかキュンとするメールは

保護メールにしていたなぁ…笑)

 

背が高くてスポーツが得意、

遅刻魔なのにどの科目も成績優秀で

そんな彼に惹かれていく日々でした。

 

 

 

私の誕生日に、「遊ぼう」と誘ってくれ、

2人で一緒に都市部へ出て、

ご飯をご馳走してもらったときは

「あー、これが幸せかー」となりましたね。

一緒にケーキを食べて、夜景をみて。

帰りの電車はニヤニヤ必至でした。

 

お昼休みには2人でクラスを抜け出して、

外のベンチでお弁当を食べて

和気藹々とデート気分を味わって。

春休みの終了を告げるチャイムが憎かった。

 

彼の読んでいる本が気になって、

「何を読んでるの?」と尋ねると、

「ん?読んでみる?」なんて貸してくれて。

シリーズ物だったのですが、

私もその本にハマってしまいました。

 

 

 

しかし当時の私は既に高校生。

「同性愛」という言葉を知っていて、

彼がストレートであるがゆえに

それが叶うはずもない恋であることには

気付いていました。

 

時に彼の口から出る

「彼女が欲しいなー」

というような言葉。

その言葉に「そっかー!」なんて

平静を装って返しつつも

胸がギュッと締め付けられて。

 

また、たまにくる

メールアドレス変更の知らせに、

「あー、彼女できちゃったのかな」なんて

勘ぐっては疲れて。

 

俗に言う「恋の病」を存分に拗らせ、

勉強も全然手につがず、

急に言いようのない吐き気に襲われて

授業を抜け出したり、

訳もわからず泣けてきて

親に当たった事もありました。

(この頃に人生で初めて保健室の先生に

カミングアウトしました…懐かしい)

 

 

 

そんな一喜一憂の日々も過ぎていき、

進路選択の時期。

 

 

 

私はあえて彼のいく大学とは

違う大学を志望しました。

「同じ大学に行きたい」とも思ったものの、

そんな理由で進路を決めるのは

どうかという気持ちと、

彼から離れ、自分の気持ちに

踏ん切りをつけるという気持ちから、

違う道を歩むことを選択しました。

 

そしてお互いに別の大学に進学することに。

 

 

高校もあとちょっとで卒業という時期。

卒業式の一週間くらい前から、

「あー、もう彼とは会えなくなるのか。」

とだんだんナーバスになりました。

 

「最後くらい告白してもいいんじゃないか、

体育館裏でこっそり気持ち伝えようかな」

 

「いや、もし『気持ち悪い』って言われたら

耐えられる気しないわ…」

 

「気持ちを手紙に書いて渡すくらいアリ?」

 

「けど困らせるのも申し訳ないし、

せめて友達ではいたい」

 

そんな気持ちが目まぐるしく回りました。

 

 

 

結局、告白はできませんでした。

当時の自分の臆病さが勝ってしまいました。

 

みんなが卒業アルバムに

メッセージを書き合う中、

私も彼からメッセージをもらうことに成功。

なんの変哲もない文章でしたが、

「これで私の片思いは終わり!」と

心で納得させました。

 

確か帰宅後、

「楽しい3年間をありがとう!」というような

文章をメールした覚えがあります。

 

3年間、本当に色々と一喜一憂したけど、

彼のおかげで

(ほろ苦いながら、そしてまがいなりにも)

青春ができたと思います。

 

 

余談として、

今となって思うことですが、

彼は一緒に過ごすにつれて、

「彼女が欲しい」というような話題を

避けてくれていたように思います。

もしかしたら、私の気持ちに

気づいていたのかもしれませんね。

 

たまに小馬鹿にしたような笑い方で、

「雨橋は分かりやすいから」と

意味深な言葉を

投げかけられることがありました。

彼が恋愛関係のプライベートな話を

避けてくれていたのは、

彼の私への気遣いだったのかもしれません。

ほんと、いい男だよ、あなたは。笑

 

 

 

そんな彼、

今はどこで何しているかは分かりません。

その気になれば連絡を取れるかもしれませんが

元気にやってくれていればそれでいいです。

仕事でばりばり働いているかもしれないし、

もしかしたら結婚して、子どももいて、

家庭を持っているかもしれない。

 

けどどんな形であれ、

彼が世界のどこかで

元気でいてくれることを願います。

 

2020年3月9日

オサレゲイライフを目指して(プレゼント編)

オシャレなゲイライフに憧れるゲイ

雨橋です。

将来はVOGUEに載る予定です。

 

今日は私が実践している

オサレゲイライフのための

プレゼント術について書きました。

(術って書くと性格悪そうかな…)

 

 

 

さて、私、プレゼントが好きです。

頂く側はもちろんですが、

なんせ差し上げる側も好き。

 

プレゼントって、円滑な人間関係に

もってこいなものだと思っています。

 

もちろん、見返り目当てであったり、

極端に気を遣わせるものは考えものですが、

スマートにプレゼントを渡せると

人とのお付き合いが良好になる気がします。

また「私、こんなスタイリッシュに

プレゼントあげられるなんて、

オシャレだわー、洒落てるわぁ」というような

自己陶酔のような部分もあります(笑)

 

さてさて、

そんな私がプレゼントを用意する機会は

主に以下の3つです。

 

1. 誕生日

2. ご飯をご馳走になったりするとき。

3. 時折、サプライズとして。

 

 

1.誕生日

 

相手との関係性によりますが、

仲の良い友達の誕生日には

ささやかなプレゼントを準備しています。

基本は洋菓子(フィナンシェやクッキーなど)。

お値段にして、1000円前後かな。

 

相手によってはお値段設定はまちまちですが

見返りを求めているわけではなく、

また気を遣わせるのも悪いので、

たまに遊んだりする友達(特にゲイ友達)には

気持ち程度のささやかな物を渡しています。

女子友達にはパックセットや

入浴剤をあげることもあります。

 

これ、何が楽しいって「お店選び」です。

行きつけのお店(これがまたオサレ)は

既にあるのですが、

たまにいつもと違うカフェを探してみたり、

「レーズンとか抹茶、食べられるかな?

苦手な人もいるし、無難にチョコ?」なんて

選んだりする時間がまた楽しい。

 

プレゼント用に

小洒落たラッピングをしてもらった後は

「私、オシャレやわー。イケてるわー。

セックスアンドザシティ出れるわー。」

なんて自分に酔っています。

 

 

2.ご飯をご馳走になったりするとき。

 

少し嫌らしい話ですが、

相手が年上の方の場合などは、

「割と毎回御馳走してくれるな」とか

「いつも多めに出してくれたりしているな」

という方がいます。

そのような方には、

たまに何かしら手土産を持っていっています。

これもバカ高いものだと

返って気を遣わせたりするので、

お手頃よりかはちょっと値をはる程度のもの。

 

「いつもお世話になっているので」

お会計の後に手渡すのが私流。

ご飯前に出してしまうと「今回も出してね」

という雰囲気になりかねないので

基本は帰り際に

「いつもありがとうございます」

サッとお渡しします。

(見返りを求めていないと言いつつ、

「可愛いやつだなぁ、

またご飯連れてってあげようかな」

なんて思ってもらえると嬉しいですね!)

 

 

3.時折、サプライズとして。

 

時折、サプライズとして

プレゼントをお渡しすることも。

 

遠方から来てくれる友人などには

地元の有名な洋菓子店のケーキを買ったり、

たまに遊ぶゲイ友達には

少し足を伸ばして遠出した際に

ちょっとしたお土産を買ったり。

 

また、そんな奮発を無理をしなくても、

ミスター○ーナツや

カル○ィのお菓子をあげたりもします。

 

私自身、なんの脈絡もなくても、

また、ささやかなものであっても、

プレゼントやお土産を不意に貰えると

「あ、気にかけてくれてるんだ」

嬉しく思うため、

私も実践するようにしています。

 

 

 

さてさて!!!

そんな中で、私が注意している点は、

・見返りを求めないこと

・過度に気を遣わせないこと

の2点です。

 

見返りを求めないことに関して、

例えば、私は誕生日に

何かあげたからといって、

自分の誕生日に絶対に

何か返して欲しいとは思いません。

もちろんお返しがあると嬉しいけど、

先述の通り、自己満足の部分も大きいので

差しあげるときの心地よさに

重点を置いています。

 

「ここのお菓子好きなんだ〜」なんていいつつ

フォトジェニックなお菓子を渡すときの

「私イケてるー!」感たるや、心地良き(笑)

 

また、気を遣わせないことに関して、

一つ経験談があります。

とある友人に、ありがたいことに誕生日に

かなり高級なホテルレストランに

連れていってもらったことがあります。

普段食べられないようなものに興奮し、

とても美味しく大満足だったのですが、

「これ…お返しやっべぇぞ(笑)」

なかなかに狼狽しました。

 

お恥ずかしい話、帰って料金を調べると

「Oh...俺の一週間以上の生活費…」

となりました。

 

しかし、その彼自身が優しい人で、

私が学生でお金にそこまで余裕がないことを

承知の上で連れてきてくれており、

「俺が来たかったからお返しは要らないよ。

もししてくれるとしても、

本当にコーヒー1杯とかでいいからね。」

(いや、これが本当のスマートでは…?)

と言ってくれました。

普段から仲の良い友人だったので、

その言葉は嘘ではなかったと思います。

 

さすがに何もしないのは

私の気もおさまらないので

彼の誕生月にはレストランの

ディナーをご馳走しました。

 

しかし、それまでの彼との関係性、

また彼の気の利いた言葉がなければ、

私自身、かなりお返しに困ったと思います。

「こりゃ…しばらくもやし生活やな…」

というように。

 

 

 

 

 

プレゼントは、その頻度や値段、

相手との関係性など、

いろんなことを考えることが

求められると思います。

 

けどそれを考える時間って、

相手のことを見つめ直す機会にもなるし、

(生きていく上では避けられない)

人付き合いをしていくうえで、

重要な作業だと思います。

 

これからも無理のないプレゼントを通して

自分磨きをしていきたいですね。

 

目指せ、オサレゲイライフ。

院生だと言うことが恥ずかしいという心理。

大学院生に進学し、

現在、博士後期課程である雨橋です。

 

さて、本記事のタイトル、

研究者や院生の方々に

喧嘩を売っているようなものにみえますが

これは今の私の率直な気持ちです。

 

ただ誤解を生んではいけないので説明すると、

「大学院生であること」

が恥ずかしいのではありません。

自分でいうのもおこがましいですが、

私自身、大学院生は

一つのきちんとした身分だと考えています。

 

私が覚える恥ずかしさというのは、

「大学院生と称するに

自分の実力が及んでいない」

がゆえに生じるものです。

 

とりわけて何かができるわけでもなく、

目立った業績があるわけでもない。

語学に長けているわけでもないし、

論文は少しずつ書き進めてはいるものの、

常に浮き足立っているような感覚。

 

なんだろう、私が想像する大学院生像の

ハードルが高すぎるのでしょうか。

それとも、周りが凄すぎるのでしょうか。

 

私はそもそも競争心があるわけでもなく、

「自分がしたいペースで」

研究しているわけですが

なんかそれだと十分でないというか、

周りとの温度差のようなものを感じて

どことなく「大学院生です!」というのが

憚られる気持ちになります。

ありていにいえば心の中は

嫌味とかではなく、

「こんなんでも、一応は大学院生なんです」

という感じです。

 

 

「かつてあった研究熱が冷めたのか」と言えば

そういうわけでもないんだよな。

 

研究は楽しいし、これからも続けたいと思う。

 

けどふと冷静になった瞬間に、

自分の実力のなさに辟易し、

「やー、この世界でやってけんのかな」と

名状し難い不安に襲われるんですよね。

 

 

 

やっぱ何か強みがなければいけないよね。

研究科やコース、もしくは研究室の中で

「この分野なら誰にも負けない」

みたいなものがあると心待ちは変わるのかな。

 

 

 

やー、けどやっぱり、

以前、とある先生に言われた

「今の力で生き残っていくのは難しいよ

研究を続けたいならもっと頑張らないと」

という言葉がこたえてるんだなー。

おそらくは私を気遣ってかけてくれた

「愛の鞭」なんだとは思いますが

私にこの鞭は痛すぎたよー、、、

 

その一方で、

「着実に研究を進めているし真面目でいい」

と言ってくれる先生もいらっしゃって。

ゆとりが云々とは言いたくないけども、

やっぱ私は褒められて育ちたいなぁなんて。

 

 

 

周りと比べたくはないけど、

20代半ばにして周りは自立して安定しゆく中、

未だに先生の言葉に一喜一憂してる自分が

これまたなんかむず痒くどこか恥ずかしい。

 

 

 

やっぱとりあえず、強みを作ろう。

「この分野だけは絶対に誰にも負けない!」

っていうところを作ろう。

そしたらきっとこの心持ちも変わるはず。

 

 

 

頑張ります。

日本語より英語が大事なのかという疑問。

※今日の記事は一意見で、

ただの愚痴に捉えられるかもしれませんが

ご了承ください。

 

 

 

最近よく思うことがあります。

 

個人的な意見ですが、

グローバル化の時代といえど、

英語に力を入れすぎている結果、

日本語がどこか蔑ろにされていない?

ということです。

 

まぁ世界でもある程度通用するのは英語で、

グローバル化の時代に

英語は必要なものだとは思います。

使えるに越したことはないでしょう。

 

けど、最近、

(私の周りだけかもしれませんが)

TOEICとかTOEFLという単語に比べて

例えば漢検とかって単語を

全然耳にしないんですよね。

 

TOEIC〇〇点!TOEFL〇〇点!

はよく耳にします。

まだ英検〇級!も耳にすることはあります。

これらは資格の欄にも

「書け書け!」と言われる一方で、

漢検という言葉は(少なくとも私の周りでは)

めっきり聞かなくなりました。

漢検については、あるなら書いてもいいけど、

「あんまり意味ないよ」という感じ。

 

また英語を用いた授業の導入が多くなされ、

「この授業はオールイングリッシュ!」

ということを売るような、

英語に傾倒する感じがある一方で、

日本語については、

(できて当然という前提があるのか)

あまり細かく触れることがない気がします。

 

 

 

そこでいつも思うのです。

いやー、

やっぱ母語も大事じゃない?

と。

 

ありていに言うと、私も含めてですが、

日本語も自信を持ってはいない状態で

「英語!英語!」って

傾倒しすぎるのはどうよ、と。

 

非常にお恥ずかしい話ですが、

先日、留学生に、

「〜するとき」と「〜したとき」の違いや

「〜は」と「〜が」の違い、

「学校へ行く」と「学校に行く」の違いなどを尋ねられ、答えに困りました。

感覚的には分かるものの、

自信を持って説明することはできませんでした。

 

しかし、あくまで私の感覚ですが、

日本語を専門に学んだりしていない限り

これらの問題に迷いなく即答できる人は

少ないのではないかと思います。

(たくさんいたらごめんなさい)

 

また敬語も然り。

私自身は「二重敬語」について

「リスペクトしまくってるしよくね?」

と考えるスタンスの人間ですが、

本来「二重敬語」は避けるべきもので

敬語については、

私も毎回誤りがないかなど調べています。

 

このように、

やっぱり日本語って難しいと思うんです。

それに、英語を訳すときにも

日本語力は必要になります。

 

なのに、なんというか、

「英語が大事!英語!英語!」という雰囲気、

少し強くないかな?と思うのです。

 

英語は大事!

それはわかる!

 

けどそれと同じくらいに、

日本語も大切にしようよ

と提案したい。

 

英語批判でも日本語推奨でもありません。

もちろん世界規模で見たら

話者の数などで「言語におけるカースト

みたいなものは判断できるかもしれませんが、

それでもせっかく残存している言語、

どれも大切にしていきたいなと思いました。

映画「パージ」の世界に生まれたら。

Odai「最近見た映画」

 

本記事では説明の都合上、

多少のネタバレが含まれます。

自己責任でお願いします!

お気をつけ下さい!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パージという映画をご存知でしょうか。

(本記事を読んでくださってるということは

知っていらっしゃるのかな?).

 

内容を軽く説明すると、

 

・一年に一度、殺人を含む犯罪が

許される時間帯(19時〜7時)が来る。

・その日は恨みがある人を殺しにいくも良し。

家に籠もって無難にやり過ごすも良し。

 

というようなものです。

 

この映画を最近になってみたのですが、

色々と考えさせられました。

 

物語の展開として、例えば

(社会的弱者は負担だから不要というような)

優生主義的な考え方を持つ者が出たり、

恨みがある人に復讐をする人がいたり、

快楽殺人のためだけに

この機会を利用する者が現れたり。

 

 

 

以下、私見として、

優生主義的な考えは

批判されるべきものだと考えます。

しかし、たとえば、

実の家族を目の前で殺されたのに

法が犯人を何らかの事情で「無罪」としたとき

自分に制裁する手段が与えられるわけで、

それは非難されるべき「絶対悪」なのか、

「復讐なんてよくないことだ」

とは思う反面、

自分のことと置き換えた場合に、

「絶対悪」だといえるのか、など

考えるきっかけとなりました。

 

 

 

仮に私がパージの世界に生まれたら。

 

私はおそらく、海外逃亡するか、

厳重にロックした家に引きこもるでしょう。

 

殺したい人がいるわけでもなく、

誰かから恨みを買っている自覚もありませんが

心のどこかでもしかしたら

誰かが殺しにくるかもな…

なんて思っています。

恨みを買うのに当人は

自覚なんてないと思いますしね。

 

またパージ反対運動なんかにも

参加してしまいそう。

「パージを許容するのは非道徳的だ!」

という層と、

「パージは社会の秩序を守るために

やむを得ない措置である!」

という層が現れそうですよね。

私は前者につくと思います。

 

社会的状況、自身の状況に鑑みても

快楽殺人を求める富裕層からすれば

私の財力で拵えられるセキュリティなんて

一瞬で破壊されそうですからね…

望まずしてなった三匹の子豚の藁の家状態…

 

と同時に、一方で、

私が信じられないほどの恨みを持ったとき、

それを解放する機会を与えられるわけで、

完全に理性的な人間はいないでしょうから

どうなるかわからないですよね。

 

 

 

あと、思ったのが、パージの時間、

外から銃声とか殴打する音が聞こえると

すっごく萎えると思います…

「今外で人が殺されてる…」みたいな。

かと言って、寝るのも不安だしな…みたいな。

なんとも言えない時間になりそうです。

 

 

 

「パージ」の世界を通じて、

「正義ってなんだろう」という問題を

考え直すきっかけになりました。

ですが少なくとも、

(あり得ないとは思いますが)

日本でパージが実現しないことを

心から願います。

素晴らしい若者たちに感動した話。

昨日、久々のオフだったので、

春の訪れを感じに近くの森林公園まで

軽く散歩に行ってきました。

 

すると部活で練習に来ているのであろう

練習着を着た男子高校生の集団がいました。

(顧問らしき方は見えなかったので

おそらくは自主練でしょう)

 

「春休みも練習熱心だなー」と思いつつ、

散歩のルートを通るため彼らに近づくと、

ササッと道を広げてくれました。

このくらいはある意味で

「当然」なことかもしれませんが、

彼ら、「こんにちは!」と

大きな声で挨拶をしてくれたのです。

 

いやぁ、感動しました。

 

決して今時の高校生を

見縊っていたわけではありませんが、

顧問のような人もいない中で、

人を思いやる行動と共に、

挨拶までしっかりできる子たち。

なんとも爽やかな気分になり

私も嬉しい気分とともに挨拶を返しました。

(その時、失礼ながら思いもしなかった展開に

少々挙動不審な挨拶になりました…恥ずかしい)

 

 

 

そんな心地よい気分で散歩を進めていると

次は女子高生らしき二人の姿が見えました。

学校のものではなさそうでしたが、

ジャージを着用していて、

「さっきの子たちのマネージャーかな?」

などと勘ぐっていると、

なんと彼女たち、ゴミ拾い中だったのです。

 

たしかに散歩道、ペットボトルや空き缶など

色々なゴミが目についていました。

それらを決して嫌々な雰囲気でなく、

なんなら積極的にトングで拾っている姿に

心打たれました。

 

あの姿は恐らく、

「内申のために」とか「言われて仕方なく」

ではなく、単純に生活の一部のような感覚で

ゴミ拾いをしているような感じでした。

そして彼女たちもこちらと目があった際、

ニコッと会釈をしてくれました。

 

 

 

やー、こちらが恥ずかしくなるくらい

しっかりした子たち。

「今時の若者は挨拶をしない」

「今時の若者は人のことを考えない」

みたいなことが言われたりしますが、

昨日私があった子たちは、

そのような言葉に全く当てはまらない

本当に清らかな子たちでした。

 

あぁ、学校に連絡したい。

「素敵な生徒さんたちですね!」と言いたい。

 

無論、こちらから学校名を尋ねると不審者だし

あちらからすると

「何か学校にクレーム入れられるのかな…」

なんてなりそうで尋ねはしませんでしたが、

昨日の出来事を心に留めるだけでは

勿体無い気がして文字に起こしました。

 

「挨拶を大事に、社会に貢献できるように」

なんて、ある意味では当たり前のことを、

改めて再認識させられるような出来事でした。

 

昨日会った高校生のみなさん、

部活に勉強に青春頑張ってね!応援してます!