雨橋のつぶやき日記

ゲイの文系院生、考えたことをつらつら書いてます。

映画「パージ」の世界に生まれたら。

Odai「最近見た映画」

 

本記事では説明の都合上、

多少のネタバレが含まれます。

自己責任でお願いします!

お気をつけ下さい!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パージという映画をご存知でしょうか。

(本記事を読んでくださってるということは

知っていらっしゃるのかな?).

 

内容を軽く説明すると、

 

・一年に一度、殺人を含む犯罪が

許される時間帯(19時〜7時)が来る。

・その日は恨みがある人を殺しにいくも良し。

家に籠もって無難にやり過ごすも良し。

 

というようなものです。

 

この映画を最近になってみたのですが、

色々と考えさせられました。

 

物語の展開として、例えば

(社会的弱者は負担だから不要というような)

優生主義的な考え方を持つ者が出たり、

恨みがある人に復讐をする人がいたり、

快楽殺人のためだけに

この機会を利用する者が現れたり。

 

 

 

以下、私見として、

優生主義的な考えは

批判されるべきものだと考えます。

しかし、たとえば、

実の家族を目の前で殺されたのに

法が犯人を何らかの事情で「無罪」としたとき

自分に制裁する手段が与えられるわけで、

それは非難されるべき「絶対悪」なのか、

「復讐なんてよくないことだ」

とは思う反面、

自分のことと置き換えた場合に、

「絶対悪」だといえるのか、など

考えるきっかけとなりました。

 

 

 

仮に私がパージの世界に生まれたら。

 

私はおそらく、海外逃亡するか、

厳重にロックした家に引きこもるでしょう。

 

殺したい人がいるわけでもなく、

誰かから恨みを買っている自覚もありませんが

心のどこかでもしかしたら

誰かが殺しにくるかもな…

なんて思っています。

恨みを買うのに当人は

自覚なんてないと思いますしね。

 

またパージ反対運動なんかにも

参加してしまいそう。

「パージを許容するのは非道徳的だ!」

という層と、

「パージは社会の秩序を守るために

やむを得ない措置である!」

という層が現れそうですよね。

私は前者につくと思います。

 

社会的状況、自身の状況に鑑みても

快楽殺人を求める富裕層からすれば

私の財力で拵えられるセキュリティなんて

一瞬で破壊されそうですからね…

望まずしてなった三匹の子豚の藁の家状態…

 

と同時に、一方で、

私が信じられないほどの恨みを持ったとき、

それを解放する機会を与えられるわけで、

完全に理性的な人間はいないでしょうから

どうなるかわからないですよね。

 

 

 

あと、思ったのが、パージの時間、

外から銃声とか殴打する音が聞こえると

すっごく萎えると思います…

「今外で人が殺されてる…」みたいな。

かと言って、寝るのも不安だしな…みたいな。

なんとも言えない時間になりそうです。

 

 

 

「パージ」の世界を通じて、

「正義ってなんだろう」という問題を

考え直すきっかけになりました。

ですが少なくとも、

(あり得ないとは思いますが)

日本でパージが実現しないことを

心から願います。